とある一家と、エスパー少年(そのおきにいり)
承:どうするこの憤り
古泉を夕食に招いた結果、頭にチョップを食らわせることになった。そんな事件からしばし。
……なに、中間の経緯を省きすぎだと?そんなことは知らん。
ついでに言えば、あの後2人きりの部屋に漂った微妙な気まずさも、帰り際母親特製の惣菜を持たされてたいそう恐縮しながら、両親と妹総出で送り出されていく古泉の後ろ姿を無言で見送った俺の心中の苦々しさも、まったくもって説明の必要を感じないね。
そんな過去のことよりも、これからの話をしようじゃないか。はい、そんじゃスタート。
とある金曜の晩のことだ。
「ちょっとー、お兄ちゃん。お兄ちゃーん。ごはんよー」
「キョーンくーーん、ごはんー!」
階下からそんな声が聞こえて、俺は目を覚ました。
そしてベッドの上で雑誌を放り出して横になっている自分に気づく。そういや学校から帰って着替えてからの記憶が曖昧だな。寝ていたらしい。
よだれを拭き拭き起き上がり、部屋を出る。いい匂いだ。今日はカレーか。
まだどことなく眠い頭のまま下に降り、ダイニングにたどり着いたらば。
「あ、どうも。こんばんは」
さっき下校路の途中で別れたばかりの古泉がいた。
「キョンくんおそーい。お寝坊さんー」
「やっと降りてきたわねー。じゃ、ごはんにしましょ」
まあ当然ながら古泉だけでなく妹とお袋もおり(親父は今日は残業らしく、まだ帰っていなかった。まったくもって頭の下がることである、我が家の企業戦士には)、食卓には食事の準備が万端に整っている。
そんな食卓に妹と隣り合って座る古泉を見て、思わず言ってしまった。
「……なんでお前がいるんだよ」
「スーパーに寄ったら、例によってお母様とばったりお会いしまして。お誘いをいただいたのでお言葉に甘えてしまいました」
例のタイムセールが狙い目で鮮魚コーナーが充実してるあそこか。お前あの店でのエンカウント率高いよな。この前来たときも同じ店でお袋と会って連れてこられてただろ。
古泉は恐縮した様子で、苦笑いとも愛想笑いともつかないような顔をする。
ふん。殊勝そうな顔してるけど、結局飯に釣られて来たんだろうが。お前けっこうちゃっかりしてるよな。
「まあ、お母様のご飯がおいしいのでついご相伴にあずかりに来てしまうのは否定できませんね」
認めやがったよこの野郎。
「あらあ、そう言ってもらえると嬉しいわー。毎日でも食べに来ていいのよ。おばさん張り切っちゃう」
「あたしも古泉くんのお話楽しいからもっと遊びに来てほしいー。ねえ、早くいただきますしようよー」
お袋も妹もこいつを調子に乗せるようなことを言うな。最近じゃマジで古泉がうちで飯食ってくのがじわじわと恒例行事になりつつあるってのに。
一体どこで捕獲してきたもんだか、友達の家に遊びに行ったはずの妹が古泉を連れて戻ってきて一緒に菓子作りを始めたこともあったしな。あの時のクッキーはなかなかにうまかったがおかしいだろお前、兄貴の友達とお菓子作りって。
しかも古泉をつかまえてくるのがお袋と妹だけかというとそんなことはなく、仕事帰りの親父が連れてきたことも1回ある。
その時の古泉はどうも疲れた様子で、『バイト』帰りっぽかったな。
「ちょっと疲れてるみたいだから心配になっちゃってさー。一人暮らしなんだろ、古泉くん」と親父がお袋に耳打ちしていたのも知っている。まったくお節介め。
まあ、かく言う俺も、主に妹と母親の古泉くん連れてこいコールに負ける形で(そう、俺は負けてるだけだ。それだけだ)古泉を何度か飯に誘っているので人のことは言えん。
言えんのだが……これだけは言わせろ。
「来てたんなら声くらいかけろよ」
「すみません。よくお休みのようでしたので、起こすのは気が引けてしまいまして」
ほー、それでお袋や妹とだべりながら夕飯の準備の手伝いでもしてたのか?あるいは、妹の相手をしてやってたんだろうか。
曲がりなりにも部活の相棒を放っておいて、俺が寝こけてる間にうちの女どもとたわむれてるたあいい度胸だな。
「やーねえ。馬鹿なこと言ってないで、ほら、座んなさい。ご飯食べるわよ」
「そーだよー。キョンくんが起きなかったのがいけないんだよ。いただきまーす」
スプーンを手に取ったお袋と妹はからから笑っているが、俺としては本気で面白くないのだ。
いや、面白くないとは言っても、古泉といられる時間が増えることに関しては、なんだ。やぶさかでもないというか。
それとは別に、ちょっと、だんだんと古泉と俺の家族の付き合い方が、俺を置いてけぼりにしはじめてる気がして、気にくわないのだ。
どっちも同じ気持ち――つまるところ、古泉に対する片思いのようなもの――に根ざしているだけに、正直に言うわけにもいかない。
言ったら恐らく色んな意味で自爆テロだ。そして俺はまだテロリズムに走ろうと思うほど世を儚んだりはしていないのである。
そんなわけで俺はスプーンを振るってお袋自慢のカレーを片付けながら、沈黙を守り通した。
俺の向かいでお袋からおいしいカレーのコツを聞き出す古泉の、やたらと楽しそうな笑顔をチラ見しながら。
「それでは、どうもごちそうさまでした。いつも本当にありがとうございます」
古泉は玄関先で、いつも通り、マナー教育ビデオの見本にでもなりそうな角度で丁寧に頭を下げた。
「いいのよー。遠慮しないで、またいらっしゃい」
「またきてねー、古泉くん」
それをお袋と妹が笑顔で手を振って見送るのもいつも通りだ。
まったく、我が家の女どもときたら。顔が良くて口が上手けりゃそれでいいのかね?
「そこまで送ってく」
俺が上着を羽織り、マフラーを巻きながら言うと、古泉は驚いたように固辞した。
「いいですよ、寒いでしょう」
「別に。ちょっとコンビニ行きたいからそのついでだ。じゃ、俺ちょっと行ってくるわ」
妹が一緒に行きたいとぐずる前にと素早く靴を履いて、古泉の腕を引いて玄関を出る。
ドアを開けると、冷気が一気に迫ってきて、思わず身を竦ませた。夜更けというほど遅くもないが、まあ早くもない時間だ。当然気温は下がる一方。
「だんだんと暖かくなってきてはいますが、まだまだ春は遠いですね」
「そうだな」
吐く息が口元を白くけぶらせる。古泉を見ると、空を見上げていた。
この辺は星が特別きれいに見えるわけではないし、俺は星座はさっぱり分からんのだが、元天文少年にとっては違うのかね。俺も見上げるが、やっぱりオリオンくらいしか分からん。
「……ひょっとして、ご迷惑でしたか」
「はあ?」
唐突な質問に古泉をもう一度見ると、今度は俺の方を見ている。
困ったように笑う、色の薄い瞳がやたらと甘く見えて、これがくせ者なんだよな、と思う。
古泉にのぼせ上がってる女子は、こいつのこういう目を見てやられちまうに違いない。
「いえ、このところたびたびご厚意に甘えてしまいましたから。1度や2度は良くても、こう度重なると、」
「なんでそういう結論に行き着いたか知らんが、そう思うようなら最初から飯食いに来いなんて言わん」
お前は見えてないのか。お袋も妹も、ついでに親父すらもお前が来るとやたらと楽しそうだろうが。
特に実際に飯を作って食わせてるお袋があんだけ喜んでるんだ。どこに迷惑を感じ取った?
「……あなたは?迷惑だとは……」
「別に」
我ながらぶっきらぼうな言い方になってしまった。
だが、どうせ俺がこいつに対してこういう態度なのはいつものことだ。
というかそんなだから飯食ってるのか心配すれば驚かれ、迷惑がってるんじゃと懸念させてるのかもしれんな。
分かってるさ。分かってるんだが思春期の男心は複雑なんだよ。
諸条件からみて望み薄な相手に自分の気持ちを気取られたくないと思うのなんて、普通だろ?俺は当分の間、こいつとは奇妙奇天烈でそこそこに良好なこの友人関係を維持したいんだ。
「……カレー、おいしかったです。お母様に改めてよろしくお伝えください」
いつの間にか、道の先にコンビニの明かりが見えていた。
俺はあそこに行くからと言って出てきた。そしてコンビニの手前の角を曲がると古泉の家の方向だ。俺と古泉はここで別れにゃならん。
コンビニを見つめながら、古泉はぽつりと言った。
「あなたの家で過ごす時間は、居心地がいいです。誘われてつい何度もお世話になってしまうくらいに。ああいう団欒は、久しぶりですし」
……この野郎。そんなマッチ売りの少女やネロと張り合えそうな、幸薄そうな声出すな。
気に入ってんなら「迷惑でしたか」なんて聞かずにまた来いよ。誘うから。
そんなわけで翌日土曜日。
学校は休み、市内探索もない。そんな好条件となれば俺は寝床でのんべんだらりと布団との蜜月を楽しむのが通例である。
時刻的にはもう昼すぎだ。階下ではなにやらぱたぱたとせわしない足音が聞こえ、やがてお袋が声を張り上げるのが耳に届いた。
「ちょっとー、お兄ちゃん。お兄ちゃーん。まだ寝てるのー?」
俺は返事をせずにごろんと寝返りを打つ。寝てると言えば寝てるかもしれない。
休日はいつもこんな感じのだらだら具合だが、昨夜なんとなく古泉のことが気になって眠れなかったので若干寝不足だったのだ。
うちが居心地いいと言っていたあいつは、一人暮らしの部屋に帰ってそれからどういう気持ちで過ごすんだろうと思って。
「……もう。いつまでもだらだらしてないでちゃんと起きなさいよー。お母さんたち出かけてくるからー」
「キョンくーん、お土産買ってきてあげるからねえ。ちゃんと起きてご飯食べるんだよー。いってきまーす!」
お袋と妹が出かけていく声と物音を聞き流してしばらく。俺は布団を蹴ってのっそりと起き上がった。
……いやだねまったく。最近の俺は感傷的でいけない。
それもこれも古泉のせいだ。月曜に学校で会ったらあの野郎、ギッタギタに負かして罰ゲームに飲み物おごらせてやる。そんでまた飯に誘おう。
いや、むしろ今日誘ってやろうかな。
俺は枕元に置きっぱなしにしていた携帯を取り上げ、開く。
「……」
電話帳を開き古泉の番号を呼び出してかけるが……出なかった。
すぐに、「おかけになった番号は、電源が入っていないか、電波の届かない場所に……」という例のアナウンスが俺の耳もとに流れる。
なんだよ。移動中か、それとも……『バイト』中か?
俺は仕方なく携帯をたたんで放り出す。
なんだか起きる気がなくなってしまい、俺はその後も何となくだらだらな時間を過ごしてしまった。
2時を過ぎ、3時を過ぎ、4時近く……俺の中のだらだらレコード新記録をマークしそうな勢いだ。
その間さすがに腹が減って起き出した俺は台所を物色し、俺の分をとっておいてくれたらしい昼飯をもそもそと消費する。
そんなことをする間にも古泉には何度か電話を掛けたがつかまらなかった。マジで閉鎖空間にでも行ってるか、さもなきゃ機関に呼び出しでも食らってるんだろうか。
時計はとうとう5時を過ぎ、6時にさしかかろうとしている。外はとっくに暗く、お袋と妹はなかなか帰ってこない。
……もう一回、かけてみるか?
リビングで時計とにらめっこしながら、俺は携帯を手に……
手に取ったらば、謀ったようなタイミングで携帯が着信音を奏で始めた。
「うおっ!」
驚きのあまり携帯を放り出しかけ、あわてて空中キャッチする。携帯の背のサブウインドウを見ると、そこに表示されているのは……古泉!
俺は一も二もなく携帯を開き、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『どうも。すみません、何度かお電話をいただいていたのに』
「別にいい。お前、今どこ……」
『ねー、替わって替わってー!』
どこにいるんだ、と訊ねようとした俺に割り込むように、電話の向こうから聞こえた声に、俺は驚く。
『やっほーキョンくん!あたしだよー、えへへー』
古泉の爽やかなくせに甘ったるい声に取って代わったのは、我が妹の舌っ足らずな声だったのだ。
「おま、何やってんだよ」
『あのねーえ、うんとねえ、古泉くんとお買い物の帰りに会ったから、いっしょにご飯食べてくことにしたのー』
は?なんだと?
『あっ、お父さんとも会えたからー、お父さんも一緒!』
ホワット?
『だからー、……うん、分かった、言うね。だからー、お母さんが晩ご飯は適当に食べときなさいだって!え?それも言うの?うん分かったー。冷蔵庫に作り置きのおかずあるしー、ご飯も残り物冷凍してあるしー、だって!』
どうやら妹はお袋の発言を中継しているらしい。……って、おおおいコラ!
『じゃーね、いい子でお留守番してるんだよー。約束通りおみやげ買ってあるからね』
そうして、俺が口を挟む前に、通話は無情にも途切れた。
ツー、ツー、ツー。
……俺の心中を、お察しいただけるだろうか。
正直携帯電話を床にたたきつけなかったのを褒めてもらいたいくらいだ。
こういう時、なんて言うべきだろうな。あー、うまい表現が見つからんが……そうだな。
ちくしょう。ちょっとだけ、ちょっとだけ自爆テロに走りたくなったぞ、俺は!
(2010.01.19)