とある一家と、エスパー少年(そのおきにいり)

起:どうしてこうなった


 平日。夜7時半。俺の自宅。食後の食卓にて。
 なぜか古泉がいる。いや、なぜかもなにも俺が来いと言ったからだ。
 だがそれでも聞きたい。お前はなぜ我が家の主婦と行きつけのスーパーの話でそんなに盛り上がっているんだ古泉一樹!
「僕もそこはよく利用しますよ。タイムセールは重宝してます。鮮魚コーナーが特に充実してますよね」
「そうそう!お魚がね。古泉くんお魚もちゃんと食べるのねえ。うちの子なんていつも魚はヤダとかお肉がいいとか」
「だってぇ、そっちの方が好きなんだもん。あっ、でもお刺身は好き!特にマグロー」
「僕も好きですよ。今の時期ならちょうど旬ですからね。タイムセールを狙っては、よく買って帰ります」
「あらあ、しっかりしてるわねえ」
「いいなあ古泉くん。あたしもマグロー」
 訂正。妹ともなんだかんだで盛り上がってる。
 ちなみに、話題的にどうにも話の輪からはじかれてしまった俺と親父は、食卓を離れたリビングのソファから、古泉が我が家の女達ときゃいきゃい盛り上がる様を眺めていたりする。
 ……はっきり言って、面白くない。
 というか親父よ、頼むから無言で連帯感に満ちた目をこっちに向けてくるのをやめてくれ。


 俺がなぜ、空間限定エスパー、頼れるSOS団副団長、ニヤケハンサムこと古泉一樹を我が家の食卓に招くに至ったかは、話せば長くなるようでもあり、そんなにかからないような気もする。
 何がきっかけだったか。我らが団長が平和裡にジャックし、今も不法占拠を続けている文芸部室で、いつも通りにのんべんだらりと放課後の時間を費やしていたときのことだ。
「へー、じゃあ古泉くんも一人暮らしなのね」
 何かのきっかけでそれぞれの自宅の話になって、古泉が一人暮らしであることが判明した。
「ええ、いわゆる家庭の事情というやつでして。まあ、けっこう気楽ですよ」
 にこにこと、通常営業の笑みを絶やさず答えながら、古泉はプロもかくやという手つきで石をつまみ、ぱしりと打った。その時やっていたゲームは囲碁だったんだが……おい古泉、そんなところに打ったら次の俺の手番でお前の石、ごっそり死ぬぞ。
 SOS団の団員は、長門が一人暮らしであることがすでに知れているし、朝比奈さんも背景事情を鑑みればおそらく一人暮らしか、そうでなければどこかに下宿か、そんなものだろう。古泉も同じくではないかと想像していたが、やはりというかその通りだったわけだ。
 ハルヒと古泉は、そのうちみんなで遊びに行かせてもらおうかしらだの、ええどうぞ長門さんのお宅ほど立派ではありませんがだのといったやりとりをしており、そしてその程度でその話題に関する会話は終了したのだ。
 したのだが、俺は帰り道、ハイキングコースな下校路をえっちらおっちら下りながら、蒸し返してみた。
 なんでなんて聞くな。理由なんかないさ。……いや、これは嘘だな。理由はあった。
「お前、一人暮らしだって言ったな」
「ええ。言いましたが……何か、気に掛かる点でも?」
「別に。……ちゃんと、食ってんのか。飯とか」
 俺の問いに、古泉は面食らったような顔でうなずいた。
「は……ええ、まあ、それなりに」
 なんだよその豆を間違って丸呑みした鳩みたいな顔は。俺だってお前の心配くらいするんだよ。
 そう、まあ、あれだ。普段アイドルみたいな顔して澄ましてるこいつがどうやって暮らしてるのか、俺はそこそこに気になっていたし、心配もしていたのだ。
 なんで心配するのかといえば、仲間だからに決まってる……というのは最近我ながらお為ごかしにしか聞こえなくなってきている。俺は古泉のことを、ちっとも上達しないボードゲームの対戦相手兼非日常のドタバタを一緒に乗り越える相棒だと思う一方で、それだけに収りきらない気持ちで見ているときがあるのだ。
 ……まあ、そんな話は、いい。
 それよりも、「それなりに」ね。その時俺は思った。高校生男子の、それも中学時代の3年間をハルヒの不機嫌の後始末に追われ続けた奴の自活スキルの習熟度、などというものが、いかほどのものであろうか。
 つまり古泉曰くの「それなりに」食えている、というのが相当疑わしく思えたのだ。だからだ、次の言葉を言ったのは。断じて他意とか下心の発露ではない。
「今日、さ。暇だったらうちに来いよ」
「はい?」
「飯食ってけ」
「…………」
「なんだよ、暇だったらっつってんだろ。都合悪いならいい」
 つうかなんだよその間は。
「いえ、大丈夫です。そちらのご迷惑でないのなら」
 黙り込んで何かを考える様子だった古泉に、一瞬下心を悟られたかと思……あーっと違った。俺はそんなこと思ってない思ってない。さっきのセンテンスに下心とかいう単語を見つけたそこの君、それは目の錯覚だから忘れるように。
 とにかく、俺の危惧は杞憂だったようで、古泉はすぐにあっけらかんとした様子で頷いた。
 かくして俺は携帯電話を取りだし、お袋に増員1名ありの連絡を届けたわけだ。


 結局説明が長くなったな。
 そんなわけで我が家の食卓に招かれた古泉であったが、夕食の卓につき、一口食ってお袋の料理を絶賛した、そこまではいい。実際美味かったからな。問題は、その次に発した言葉だった。
「僕が作ってもこんな風にはならなくて……ぜひコツをお教えいただきたいですね」
 ホワット?
「古泉くん自分でお料理するんだー。すごーい!」
「そーねえ。やっぱり一晩、最低でも2、3時間は寝かせるのがコツかしらねえ」
 おいおい、ちょっと待て。
「高校に入ってから自炊を始めたばかりで、お恥ずかしい限りです。寝かせてみてはいるんですがあまり味がしみなくて」
「お鍋を保温してゆっくり冷ますといいのよ。新聞紙とかタオルとかでくるんで、発泡スチロールの箱に入れてね」
 なんで即席お料理教室みたくなってるんだ。
「いいなー、古泉くん、今度古泉くんの作ったお料理食べてみたーい」
 ……「男やもめにウジがわき」などということわざがあるが、どうやら古泉はこれに当てはまらない部類であったらしい。
 俺が疑わしいものだと思った「それなりに」。それが嘘やごまかしじゃなく真実だというのは、その後の我が家の女連中との話の盛り上がり方から知れた。ていうかマジで盛り上がりすぎだった。
 なんでそんなに話題が生活感あふれてやがるんだよ。いつもスカしたツラでスタイリッシュに決めてる奴が!
 そんな風にして、食後のお茶が供される頃には、俺は自分の中の古泉像に対し、幾分かの修正を余儀なくされていた。……いやいやいや、そんな風に言うと俺が古泉に何か変に夢でも抱いていたかのようで気分が悪い。だが、まあ、多少思い込みがあったのは認めよう。
 気がつけば、俺と共にのけ者にされていたはずの親父すらも巻き込んで、古泉はまだ話に花を咲かせている。
「お父様が勤めてらっしゃる会社に、僕の叔父の知人もいるそうなんですよ」
「へえー。知ってる人かな。それ、どこの部署の人か分かるかい?」
 食卓で話し続ける女2人と古泉をソファの上から恨みがましく見守りつつ、時々俺に「俺たち仲間だよな」という視線を投げかけてきていたはずの親父は、話を振られたとたん、いそいそと席を立って話に混ざりに行ってしまったものだ。
 ハッ、冷たいもんだね。兄弟は他人の始まり、親子すらも断絶する現代社会の闇だ。
 それにしても、古泉一樹に死角なし。さすがだぜ副団長。お前は本当に話題と話術に事欠かない奴だ。その調子で俺も話に巻き込め。
「日用雑貨だったらね、角の99円ショップがいいわよー」
 だの、
「ねーねー、古泉くんって、お菓子は作れるー?」
 だの、
「そういえば古泉くんのおじさんは何してる人なんだい?去年あいつが入院したときすっかりお世話になっちゃって……」
 だのと、話の種はまったく尽きないようだ。そして俺はそれを眺めるのみ。
 だんだんと、自分の眉間に寄ったしわが深くなるのが分かる。
 普段の俺なら、適当にツッコミだの相槌だのを入れつつ話に混ざっていただろう。相手は俺の家族と古泉だ。何を遠慮することがある。
 だが、今日の俺は虫の居所が悪かった。なんでなんて聞くな。理由なんかない。……いや、嘘だ。理由はあった。
 ――この1年近く、放課後と休日の数時間とはいえ毎日のように行動を共にしているはずなのに、俺は古泉のことをまるで知らない。こんな風に、たとえば主婦と井戸端会議で盛り上がれるほど所帯じみた面があるなんて初めて知った。そんな時は、古泉を分かった気になっていただけだった自分を思い知らされて、ひどく面白くない気持ちになる。
 それに、古泉は俺と2人でいればたいていは俺に向かってにこやかにくっちゃべっているのだ。それが、今日は俺の方をちっとも見ない。
 ……以前、長門が中河の告白を受けたときにもこういう感じのイライラを覚えたもんだが、家族相手に嫉妬かよ。
 …………嫉妬?
「……おい古泉!」
 俺は勢いをつけて立ち上がった。馬鹿馬鹿しい!嫉妬だと?
「はい、なんでしょう」
 古泉がこっちを見た。ついでに親父お袋妹よ、お前らまで一斉にこっち見んな。
「いつまでもだべってないで、上行くぞ」
「あ、はい……あの、ごちそうさまでした。失礼します」
「あらー、いーのよ。お粗末様ー」
 礼儀正しく両親に会釈する古泉の腕を掴んで立たせ、玄関、階段へ続くドアの方に引っ張る。古泉はおとなしくついてきた。
「キョンくんばっかりずるーい!あたしももっと古泉くんとお話しするー」
 などと言ってぐずる妹は、シャットアウトだ。
「だーめ。お前宿題あるはずだろ。遊んでないでちゃんとやりなさい」
「けちー!」
 ケチでけっこう。妹の罵倒を背に、俺は古泉の連れ出しに成功した。
 ばたりとドアを閉め、そのまま階段を早足で上がる。2階の俺の部屋の前まで来ると、もの言いたげにしていた古泉が声を上げた。
「あの、ちょっと……腕が痛いんですが。緩めていただけませんか」
 おっと、悪い。とりあえず手を離すと、古泉は掴まれていた場所をさすっている。そんなに強く掴んだつもりはなかったんだが。
「いったいどうされたのですか。今日のあなたは少々……その、おかしいです」
「……さてね。俺はいつでもほどほどに正常だぜ」
 ああ、まったくもって正常だとも。
 古泉の言葉にかちんと来たのは、なんでだろうね。聞くなよ?きっと理由なんかないさ。嘘だけどな。
 いつもと違うのはお前の方だろうが。いつもは俺がうざがって見せようが話しかけてくるくせに。べらべらしゃべるくせに。俺の方を見るくせに。
「いいか古泉、とりあえず言っとく」
「はい、何でしょう」
「俺の家族にまで愛想振りまいてんじゃねえよ、この外面野郎!」
 言葉と共に頭にチョップを食らった古泉は目を白黒させていたが、知るもんか。



(2010.01.15)