後の祭り、祭りの後

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 部室のドアの隣の壁にもたれて(一昨日ドアにもたれていたらすっころぶハメになったので学習したのだ)、俺は我知らず溜息をついた。
「お疲れですか」
 ドアを挟んで俺の横にいた古泉が、訳知り顔の笑顔で問いかけてくる。別に、疲れちゃいないさ。というか、いちいち疲れてたら、このけったいな団で雑用係なぞやっていけん。
「おや、それは失礼」
 キザな仕草で肩をすくめる古泉を睨みながら、こいつがさっき部室に入ってきた時のことを思いだした。別に疲れちゃいないつもりだが、あの時ばかりは、ちょっとした疲れの極みだったかもしれん。
 こいつとこの部室で出会ってもう半年以上も経つというのに、初めて会ったような気がしたのだ。ばかげた話だ。俺は何ヶ月も人見知りを引きずるようなご繊細なたちじゃねえ。だいたい昨日まではなんともなかったはずなのに。
 部室の中では、朝比奈さんがお着替え中だ。今日はハルヒにひん剥かれてるわけではないので、妄想をかき立てるような悩ましい悲鳴等は聞こえてこない。
 古泉は小首をかしげて、俺の様子を探るような目で見てくる。男がそんな動作やっても……可愛くはないが様にはなってるところが小憎たらしいなちくしょう。
「もしあなたがお疲れならば、慰労差し上げるべきところなんですがね。一昨日も言いましたが、あなたのおかげで僕のアルバイトの出動回数はずいぶんと少なくなっています。そのぶんのしわ寄せがあなたに行っているのならば、フォローも僕の仕事の内ですよ。ギブアンドテイクというやつです」
 ウインクするな。忌々しいことのその仕草自体は似合うが、俺相手だというのがサムい。……別に、心配されるまでもないさ。本当に、疲れてるわけじゃないんだ。
「それならいいのですが……」
 なんだよ。古泉は腕を組み、視線を俺から逸らして顔を伏せる。さらりと流れた前髪の下の、睫毛が長い。くそ、こいつのこういうふとした瞬間の美形ぶりは腹が立つ。流し目をこっちに向けるな。
「拗ねてらっしゃいませんか?」
 ……誰がだ!何を言いやがるんだこの男は。
「ギブアンドテイク、という言い方が気に入らなければ、言い直しましょう。友人として、あなたの行いに感謝しているからお返しがしたい、というのではどうですか?」
 どうですか、とか言っちまったらダメだろうが。どうしてお前はそう余計なひと言が多いんだ。実は俺を怒らせるのが仕事なんじゃないのかと疑う時があるぞ。お前のそういう所は好きじゃない。
「すみません。そんなつもりではなかったんですが……」
 古泉は困ったような苦笑いで、俺に顔を向ける。
「それに僕は、あなたのことは好きですよ」
 気色悪いことを言うな。俺はそう言っていなすべきだった。
 固まった俺を見て、古泉は何を思っただろうか、自分がどんな顔をしているのかさっぱり分からなかったが、古泉がハンサムスマイルに戸惑いの色を乗せているのから察するに。あまりよろしくない感じのようだ。
 何か言わなければ。そう思った時、バン、と部室のドアが開いた。
「おっ待たせー!」
 この場でどんなコメントをすべきかで頭がいっぱいだった俺はかなり驚きながら、ハルヒ、朝比奈さん、長門がぞろぞろと部室から出てくるのを眺めるハメになった。
「さあ、行きましょ。……キョン、あんたどうしたの?鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」

***

 ジリリリリリリリリ。
「キョンくーん、起っきてー!」
 必殺布団剥がしが今日もうなりをあげ、布団から引っぺがされた俺はシャミセンと共に床に転がった。
 妹がシャミを回収していくのを横目に起き上がり、目覚ましを止める。そして、再び床にごろりと寝そべった。
 まただ。目が覚めたとたんに夢の詳細は彼方に逃げ去ってしまったが、昨日の朝の夢の続きだった気がする。
 寒さに身震いした。思い出せないのが、なんだかひどくもどかしい。
 ……昨日、あの女子に謝り倒された後。俺は釈然としない気持ちを抱えて、家に帰るしかなかった。あの女子を追いかけて説明を求めてもよかったのかもしれない。だが、周囲の目が若干痛かったのと、あの女子の態度が頑なだったのと……渡り廊下への一歩を踏み出す勇気がなかった。
 なぜかは分からない。いや、分からないからこそかもしれない。身に覚えのないぼんやりとした記憶と、身に覚えのない謝罪をしてくる女子。一体何があったのか、関連があるのかないのか、あるとしたら何が。
 そんなことを考えて過ごしたせいで、夜もなかなか寝付けなかった。おかげで体が重い。起き上がれる気がしなくてしばらくぼーっと天井を見つめながら、考えた。
 そういえば、昨日今日と見ている夢の舞台は、たぶん学校のどこかだった。この夢も、身に覚えのない記憶や六組の女子の態度と関係あるんだろうか。
 天井に向けて手を伸ばしてみる。その手には何もかすらない。
 夢の内容を思い出そうとするのも、これと似たような感じだ。目の前に見えているはずの天井に手が届かないように、何かを夢で見たのは分かっているのにその何かに手が届かない。ただ、色素の薄い、柔らかい色の長い前髪の間からちらつく流し目が俺を見ていて、睫毛が長くて、俺はそういったものをいちいち意識して――俺は何を言っているんだ。
 どうにもおかしい。いつから、どうしてこうなった。
 下から母親の怒声。しまった、ゆっくりしすぎたか。しぶしぶ起き上がって、身支度を開始する。
 制服を着た後、ベッドの上に放りだされたままになっていた携帯を見つけて拾い上げた。またうっかりサイドボタンを押しちまう。どうにかならんもんかね。害はないんだが。
 イルミネーションと共にサブウィンドウが灯る。表示された日付は、12月20日。そして着信はなし。


 朝飯もろくろく入らないまま、寒さに身を縮こまらせてハイキングコースを越えるのは、なかなかに厳しかった。そのせいか教室にたどり着いたのは本当にギリギリもギリギリ、ちょうど岡部担任が教室にやってきたところで、気をつけろとたしなめられてしまった。
 そして今日も自分の背後を気にしつつ(昨日よりもいっそう気になった)、午前中だけの授業をできるだけ淡々とこなしている、つもりだった。
「キョン、お前大丈夫かよ?体育のあいだじゅうぼーっとしてよお」
 一時間目の体育をやる気のないディフェンダーをしながら過ごし教室に引き上げると、谷口がそう声をかけてきた。なんだお前見てたのか暇だな。まあ俺様復活、などとほざきながらもさすがに体育は教室で見学を決め込んでいたんだ、そりゃ暇か。
「さあてな。ことによるとこの寒さで足の関節と腱がストライキでも起こしたのかも知れねえぜ」
「なんだそりゃ。油でも差しとけよ」
 実際、元気にサッカーにいそしむ気も起きないくらい外は寒かった。体育館でできる競技に切り替えてくれればいいものを。そして俺は、元気にサッカーにいそしむ気もないくらいの、気がかりがあった。今日も教室で、あるいは廊下で、勝手に蘇ってくる記憶の断片に煩わされながら、その原因について考えていた。
 谷口を適当にあしらいつつふと廊下を見ると、わらわらと教室に戻りつつあるジャージ姿の女子の集団の中に、昨日の六組の女子を見つける。
「おーいキョン、どこ見てんだー……お前、あの子に興味あんの?」
 なんだよ谷口てめえ目ざといな。別にそういうわけじゃないが……いや、興味があると言えばあるな。お前が想像してるようなのとはたぶん違うが。
「ほっほーう?そりゃあそりゃあ。」
 だからニヤついたその目をやめろというに。
「あの長門に目をつけるたあな。お前らしいっちゃお前らしいか」
 なんだ、どういう意味だ。というかお前、あいつを知ってるのか。
「もっちろん、谷口様のチェックに漏れはないぜ。六組の長門有希。廃部寸前の文芸部にたった一人で所属してて、教室でもいつも本を読んでる変わりもんさ。でもそこが逆に受けてて、一部ではけっこう人気あんだぜ。俺的評価でも、Aマイナーってとこだな。愛想はないが顔はけっこうかわいいし。……まあ、もっとも」
 ここで、谷口は周囲を見回し、声を潜めた。
「一部の女子の間じゃ、本読んでばっかで暗いとか、何もしゃべらんから何考えてるか分かんないとか言われてるみたいだけどな」
 女ってな容赦ないねえ、などと言いながら谷口は肩をすくめる。
「まあそれはともかく、キョンはたしかに中学の頃から変わった女の子が好きだからねえ」
 うるさい国木田。妙な認識をばらまいてくれるな。その話は違うっつうの。
「そうそ、お前らしいよな。お前けっこうマイペースだし。案外お似合いじゃねえの?」
 だから違うというに!
 谷口のニヤニヤ顔と、国木田の訳知り顔、両方の視線を避けながら考えた。
 六組の長門有希。唯一の文芸部員。そして、だんだん酷くなる、見知らぬ記憶。……長門は何かを知っている。聞けば、分かるんだろうか。


 放課後。掃除当番でもなければクラス委員でもない俺は、教室でしばらくグズグズとしていた。そのうち掃除の邪魔だと教室を追い出され、仕方なく足取りも重く歩き出す。
 迷っていた。長門有希に会って事情を吐かせれば、すべては解決するのか?その事情は本当に知ってしまっていいものなのか?知らないでいた方がマシなことだったらどうするんだ?
 のろのろと歩く内、廊下の突き当たりまで来る。
 俺はまたそこにある八組の入り口にかかるプレートを仰ぎ見た。どうしても違和感を覚える。その違和感に、色素の薄い髪の、長身の誰かの面影が重なる。
「……くそ」
 そこにどんな事情が待っていようと、何も知らないんじゃ始まらない。疑問を抱えて同じ場所をぐるぐる回るだけなんざごめんだね。
 俺は渡り廊下の前に立ち、昨日踏み出せなかった一歩を踏み出した。
 部活に縁のなかったはずなのに、この廊下を知っている気がする。
 やがて、廊下の端にたどり着き、入り口をくぐると、そこは初めて入るはずの旧校舎だった。古びた埃と木の匂いが鼻をくすぐるする。どこか懐かしかった。
 黙々と足を運び階段を上りきると、視界が開けるように、まっすぐな廊下が目の前に表れた。知らないはずなのに知っている。俺は、すぐに文芸部室のプレートを見つけた。……文芸部室の場所なんか、確認もしないでここに来たのに。
 ドアの前に立ち、何度か深呼吸した。ちょっと、緊張している。
 意を決して拳を持ち上げ、ノックすると、しばらく、間があった。いないのかと思い始めた頃、応えが返ってくる。
「……どうぞ」
 あまりにか細い声で、本当に入っていいものか、ためらう。だがそうやっていても埒が明かない。俺はドアノブを掴んでひねり、押した。
 ドアの向こうに開けた視界の中にあったのは、本棚と、古びたパソコンが乗った長机、それだけの殺風景な部屋だった。ぐらり、と頭の中が揺れる。頭の中でもう一人の俺が違う、と叫んでいる気がする。今まで感じた中で、一番強い違和感。
 そして窓際に、今しがた椅子から立ち上がった風の長門がいた。俺を見ながら、ぽつりと言う。
「いつか来ると思ってた」
「邪魔して悪いな。ええと……お前、六組の長門、でいいんだよな。俺は五組の――」
「……知ってる」
 長門は俺から視線を外すと膝掛けをたたんで本と一緒に椅子に置きながら、そう言った。
「そうか……今、話がしたいんだがいいか?」
 長門は俺に向き直り、こくりと頷いた。眼鏡越しに見えるその目には、今日は恐怖の代わりに緊張と覚悟のようなものが見える。
 俺の方も否が応でも緊張が高まる。正体不明の何かを、早く知りたい気もしたし、知るのが怖い気もした。ごくりと唾を飲み込み、俺は口を開く。
「……教えてくれ、長門。何が起こってるんだ?俺はここに来るのは初めてなのに、ここきたことがあるような気がするんだ。それに、身に覚えのないはずの記憶が急に蘇ってくることがある」
 俺の言葉に、長門は小首を傾げる。それがまるで小鳥のような仕草で、そんな場合じゃないのだが、ちょっとかわいいと思った。
「……全部思い出したわけじゃないの?」
 何をもって全部というのかは分からんが、全容が分からないからには俺は断片的にしか思い出していないんだろうよ。
 長門は俺の言葉にしばらく考えるような様子を見せたが、すぐに顔を上げて告げた。
「椅子出すから……座って。説明する」


「……私は、変わりたかった」
 年代物のでかいパソコンが置かれた長机に椅子を出して座って、長門の言葉を待つことしばし。長門の口から最初にこぼれたのは、そんな一言だった。
「この文芸部は、見ての通り私だけ。他の部員はいないし、それでも私はいいと思ってた」
 うつむいていた長門は顔を上げ、本棚を見上げる。
「ここで好きな本に没頭できるの、楽しいから」
 その横顔は、切なげだが、いとおしげでもあった。
「でも、いつも一人でいて、誰も入らない部活に入って、クラスで暗いとか変わってるって噂されてるのを聞いてしまうと、気になって……怖くなる」
 長門はまた顔を伏せてしまった。
「私は、……口下手だし知らない人が苦手だし、そういう自分が嫌だけど。好きなことをしてるはずなのに人の目を気にして萎縮してる自分が情けなくて、それがもっと嫌だった」
 ……まあ、気持ちは分かる。というか誰にだってそういう情けなさはあるんじゃないのか。人は一人で生きていけるわけじゃないんだから、周りの目が気になるのはある意味当然だろう。
 だが、なあ長門。この話がどうつながって俺への説明になるんだ?
「それは、……そうやって、変わりたいと思ってる私の元に、現れたの」
「現れたって……誰が」
「……もう一人の私が」
 長門は自分の膝の上に揃えた己の手の甲を見下ろしながら、ぽつりぽつりと言葉を落とした。
「もう一人の私は、人間じゃなくて、すごく色んなことができて、でも人間に、普通の女の子になりたがってた。私が自分を変えたいと思ってたように、彼女も変えたいと思ってた。だから、彼女と私を交換することにしたの」
 そこで長門は顔を上げた。眼鏡のふちが、長門の動きに合わせてきらりと光をはじく。
「そして私は人間じゃない私になって、彼女は私に成り代わった」
 レンズ越しの、まっすぐな視線。その視線は、罪を告白する人間の悲壮な決意に満ちているように見えた。おそらくは、だからまっすぐだった。
「その時にひとつ条件が付けられた。彼女は彼女のいた場所から二人、連れてきたの。彼女の世界のあなたと朝倉涼子という人。それで、彼女の世界のあなたにこの交換を確定させるかどうか選んでもらうって。たぶん、連れて行く代わりに選択権を与えたの」
 ……朝倉涼子?ひょっとして俺のクラスにいて、転校していったあの朝倉か?
「そう。私は朝倉さんのこともあなたのこともよく知らなかったけど……彼女の世界の朝倉さんは彼女と同類で、親しい、特別な人だったみたい。……彼女は、彼女の世界のあなたと朝倉さんとだけは、離ればなれになるのがいやだった……直接そう言っていたわけじゃないけど、たぶん」
 ようやく話が見えてきた。長門同士を交換したように、俺と朝倉のことも道連れに交換したんだな?
「じゃあ俺が時々思い出す記憶は……」
「あっちに行っていた間の記憶だと思う。交換の影響のつじつま合わせのために、あなたがあっちに行ったし……あなたも、あっちの世界も、そしてこっちの世界も、設定をいじられた、らしいの」
 ……いじられたって。入れ替えたことで混乱が起きないように、俺もあっちの俺としての記憶やら自覚やらを植え付けられたかどうかしたってことだろうか。……ぞっとしない話だ。勝手に過去を捏造されて、それに気付けもしないなんて。
「……そう」
 俺の考えを裏付けるように、長門は苦いものを飲みこんだような顔で頷いた。
「……今はもう全部元に戻ってるはず。……あなたには、ひどいことをしてしまった。本当にごめんなさい」
 長門は辛そうに目を伏せたが、すぐ顔を上げて、真摯に頭を下げた。
「昨日の私の態度も謝りたかった。あなたの話も聞かないで一方的に謝るだけなのは逃げてるのと一緒だった。……交換してみて分かったの。私……別の世界に逃げただけで、私自身は変わらなかった。なんの解決にもならなかった。間違った方法だったの」
 長門は頭を上げ、そしてまた目だけを伏せた。
「なのに私、私のしたことを責められたらと思うと怖くて、また逃げるところだっ、」
「……もういい」
 俺は長門の言葉を遮った。もういいんだよ、長門。誰だってさ、あるだろ。もし自分がこうだったら、周りがこうだったら、って理想の世界を夢想するくらい。お前の場合はもう一人の長門のおかげでそれが具体化しちまっただけでさ。
 さっきの今まで、このわけの分からない事態の鍵を握っていた長門に責任を求める気持ちがあったのに、実際俺は文句を言ってもいいだけのことをされたはずなのに、それはどこかに行ってしまっていた。こいつが、あんまりにも健気で公正な奴だからかもしれない。こいつは今のままじゃいけないと思って変わろうとしただけで、しかも間違いを認めて悔いてるんだ。
 長門はしばらくうつむいていたが、眼鏡を外すと、目の端を手でぬぐって、再びかけ直した。
「……もう一人の私として暮らした間、私は確かに人間じゃないから何を言われようとどれだけ一人だろうと動じないように見えたけど、違ったの。自分の気持ちがはっきりと分からないまま持て余してただけで、本当は私以上に寂しかった」
 そして私以上にどうしたらいいか分からなかったから、こんな方法をとったの。きっと。
 ……そう言って長門が伏せた睫毛がまだひどく湿っているのを、俺は見ない振りをした。


「じゃあ……」
 話を聞き終わった俺は、その後あちらの世界の俺たちのことをいくらか教えてもらった後、すぐに文芸部室を後にした。
 俺も、長門の話を受け止める時間が欲しかったのかもしれない。長門は俺を何も言わず見送ってくれた。長門も長門で、言うべき言葉を持たなかっただけかもしれないが。
 ドアを閉めて廊下を振り返ると、外はまだ明るい。昼下がりだから当然だ。
 俺がどうして見知らぬ記憶を抱えちまったのかは分かったが、それにどう対処したらいいのかは、結局分からないままだった。長門にわけを聞いてそれで全部すっきりすると信じていたわけじゃないが……。
 実際に部室棟を歩いてみると、そこかしこにSOS団の連中の面影を見てしまう。長門に話を聞いたせいだろうか。夢の中の出来事を、少しずつ思い出せるようになってきた。あれもやっぱりあっちで過ごした間の記憶だったのだ。
 一緒に歩いたはずの、賑やかなあいつの、可愛らしい彼女の、長門の、そして、背の高いあいつの。
 この世界にも、長門以外のSOS団のメンバーもいるんだろうか。いるとしたらどこに。……いたとして、そいつらは、SOS団のメンバーと言えるのか?なら、例えそいつらを探し出せたとしても、俺はもう二度とSOS団には会えないんだな。
 そうやって考え事をしながら階段を下り始めたからだろうか。踏み降ろした足のかかとが、ずるりと滑る。バランスが崩れて、
「う、お、ぉっ!」
 ぐるりと回る視界。既視感。俺の前を降りていく背中が、振向いて、これはいつのことだ。今はいつだ。あの世界でも落ちたのか。
 回る視界と一緒に、意識が暗転した。



(2010.03.14)