後の祭り、祭りの後

2ページ目 - 



 寒い廊下を抜け、階段をのろのろと上り、ドアの前にたどり着く。
 ノックすると、はぁい、と小鳥のように愛らしい返事。朝比奈さんだ。もういらしてたんだな。
 ドアを開ければ、そこには一昨日のハルヒの命令を律儀に守って、ミニスカサンタの格好でお茶を給仕する朝比奈さんのお姿があった。最初に見たときも思ったが、本当にサンタの孫娘だと言われたら信じてしまいそうな可愛らしさだ。部室をデコレートしているクリスマス仕様の飾りの数々が、その愛らしさをますます引き立てている。
「こんにちは、キョンくん」
 俺の姿を認め、朝比奈さんが可憐に微笑んで迎えてくれる。ああ、あなたのその笑顔が俺への一足早いクリスマスプレゼントです。
「どうも、こんにちは朝比奈さん。長門も」
 俺も当然挨拶を返す。部屋の隅の定位置の椅子でちょうど朝比奈さんから湯呑みを受け取っていた長門は顔を上げ、小さく頷いた。その膝には辞書なみに分厚い本が開かれている。
「キョンくんの分も、いま淹れますね」
 朝比奈さんがぱたぱたとコンロに駆け寄りポットを火に掛けたところに、ドアが元気よく開く。
「やっほーい!みんな、揃ってる?今日はビッグニュースがあるわよ、ビッグニュース!」
 当然ながらハルヒだ。
「なんだ藪から棒に。ビッグニュースってのはなんだ」
「あれっ、古泉くんはまだなのね」
「人の話聞けよ!」
 話はみんな揃ってからよ!と言いながらマイペースにストーブに当たりに行くハルヒに、ぶちぶちと文句をこぼす俺、ハルヒに挨拶しながら温かいお茶をご用意くださる朝比奈さん、これまたマイペースに本に視線を落とす長門。
 そして。
「やあ、遅くなりまして」
 最後にドアを開けて入ってきた部活仲間の男に、俺はどういうわけだか目を奪われた。そのやたらと整った顔立ちに、爽やかなくせに柔和で甘い印象の笑顔に、明るい色の髪に、細身の長身に、まるでその時初めて出会ったような気分になったからだ。

***

 ジリリリリリリリ。
「キョーンくーん、あっさだよー!起っきてー起っきてー、あっさごっはんー♪」
 今日も目覚ましのけたたましさと妹の布団剥がしのコンビネーション攻撃で、夢の余韻を追ってぼんやりしているところをたたき起こされた。
 妹は今日も妙な節回しの歌らしきものを口ずさみながら、俺のベッドで眠っていたシャミセンを連行していく。
 俺は起き上がって目覚ましを叩きつける勢いで止めると、溜息をついた。
 夢を見た。目覚めた瞬間輪郭が一気にぼやけちまったからよく分からんが、たぶん誰だかと一緒に学校の一室に集まっていた、そんな夢だったような気がする。昨日見た、やたらめったら圧倒的だったことだけが印象に残っている夢とはまた違う。
 こうしている間にもどんどん夢の輪郭が曖昧になって薄れていくが、なんだか和気藹々としていて、懐かしい気もすれば、新鮮な気もする夢だったような。
 懸命に思い出して夢の名残をかき集めれば、古びた部屋のほこりとインクの匂いとか、真新しい小さな電気ストーブとか、はじけるように元気な奴がいたり、一生懸命温かいお茶を差し出してくれる人がいたり、人形のように静かにそこにいる姿があったり、そして、柔らかい色あいの髪と長身と。それから、ああ、夢が逃げていく。
 俺はまた、溜息をついた。何を俺は必死になってるんだ。たかが夢に。
 そこに、階下から、早く起きて飯を食えと促す母親の声。時計を見れば、確かにちょっとのんびりしすぎた。
 しゃあない。立ち上がると、俺は先に制服を身につけた。のんびり一階と二階を往復している暇はなさそうだったからな。
 上着とカバンを手に取り……机の上に放り出しっぱなしにしていた携帯を見つける。荷物で一杯になった手で無理矢理持ち上げるとサイドボタンを押してしまった。イルミネーションと共にサブウィンドウが灯る。
 日付は、12月19日。そして着信はなし。
 階下から、また母親の声がする。俺は携帯をブレザーのポケットに放り込み、部屋を飛び出した。


 かったるいハイキングコースをえっちらおっちらと越えて昨日と同じく予鈴ギリギリに教室に入った俺は、これまた昨日と同じく国木田などと挨拶を交わしながら、自分の席に鞄をおろす。谷口はさすがに風邪菌に白旗を揚げたのか、休みのようだった。
 上着を脱ぎながら、俺は昨日以上に背後が気になって、何度も後ろを振り返った。昨日感じた妙な感覚が、なぜか強まっている。昨日ははっきりとは分からなかったが……俺の後ろにもうひとつ席があったような気が、するのだ。その席から見上げてくる、見たこともないようなギラギラと眩しいまなざしが、あったような……
 ――どうしたの、キョン。変な顔して。
 顔も名前もぼやけて分からないそいつが、首をかしげる。
 ――いや、別に。……お前、前からその席だっけ。
 ――はぁ?何言ってんの。あんたこの寒さに頭やられでもしたの?しゃきっとしなさい、しゃきっと!あたしら春からずーっと腐れ縁的にこのポジションじゃないのよ。
「おはようさーん。おーい、おまえら席につけよー」
 追憶(追憶、なのか?身に覚えがないし、会話の相手の顔も名前も思い出せないのに?)に重なるように、岡部担任の声が耳に飛び込んでくる。我に返れば、そこには床があるだけだ。俺の後ろに席はないし、そこに座る誰かもいやしない。背後を見てぼーっと突っ立っていた俺は、慌てて席に着いた。
 ホームルーム後、教科担任が入ってくるまでの間、俺はまた何度も何もないはずの背後を振り返った。
 あれは誰との、そしていつの会話だったんだ?場所は確かにこの教室のはずで、内容からして同じクラスの女子のはずなのに。
 教室をさりげなく見渡しても、あんな遠慮のない、インパクトの強すぎる女子は、いない。
 ただでさえ普段から授業には身が入らない俺だったが、今日は特に、さんざんだった。
 その授業の合間にも、思い出す。背後からシャーペンでつつかれたり、俺が座る椅子の天板を蹴り上げられたりしたような気が。……いじめでも受けたのがトラウマになって記憶から抹消したのか俺は。
「キョン、どうしたのさ。なんだか昨日に引き続いてますます変じゃない?」
「いや……」
 休み時間、国木田にそう聞かれたとき、俺は曖昧な返事を返すしかなかった。
「なあ、国木田よ」
「なに?」
「つかぬ事を聞くが……このクラス、転校していった奴なんて、いるか?女子で」
 ふとした瞬間にフラッシュバックしてくる、顔も名前も分からないクラスメートらしき女子のとの会話。教室を見回しても該当しそうな女子がいないのだ。ということは、かつてここにいて、今はもういない奴なのではないか?
「転校?……朝倉さんのこと?」
 首をかしげながら言った国木田の言葉に、俺もはたと思い出す。
「……ああ。そういやすっかり忘れていたが、いたな」
 美人で頭も運動神経も良くて、ついでに面倒見も良くて男女問わず人気のクラス委員、なんていうちょっと出来すぎな朝倉という女子が、うちのクラスにはいた。五月なんつう半端な時期に、親の都合で海外に引っ越すことになって、このクラスから去っていったのだが。
 そいつは俺を悩ませる記憶に出てくる女子とは違う。俺の記憶にある限り、朝倉はあんな遠慮のない口の利き方はしなかった。立ち居振る舞いだってそうだ。前の席の奴に乱暴なちょっかいを出す性格じゃなかったぜ。
「朝倉以外で、いなかったっけか?」
「うーん……少なくとも、うちのクラスで誰かが出たり入ったり、っていうのは朝倉さんだけだったよ。僕の記憶が確かならね」
 国木田の記憶力はわりと信用できるからな。てことは、転校の線はない……んだろうか。
「キョン、本当にどうしたの?」
「分からん。風邪が頭に回ったのかもな」
 まあ本当に頭に回ってたらやばいことこの上ないんだが。俺はほどほどに正気のつもりなので、菌は回っていないが多少熱には浮かされているのかもしれない。
 ふと、今朝の夢の面影を思い出した。長身の、柔らかい色合いの髪の。するりと逃げていった夢の余韻の、最後の名残。


 放課後。この日から短縮授業が始まり、午後の授業はない。
 俺が教室を出ると、廊下は、帰りを急ぐ者、あるいは友人同士で帰りの寄り道の相談をする者、またあるいは部活動にいそしまんとする前に腹ごしらえでもしようかと移動する者、掃除当番、それらが行き交い、適当に活況を呈している。
 その活況の中、ふと目に飛び込んできた、茶色の地味なコートを羽織った、小柄な後ろ姿。
 その姿に俺の記憶が重なる。この廊下ではなく。けれど校内の、階段。小柄なあの背中を見ながら、階段を下った――
 ……またか。俺は思わず立ち止まった。今朝から続いている、時折波が寄せて返すように蘇る、見知らぬ記憶。
 あの小柄な茶色コートは、おそらくは昨日俺を見つめて突っ立っていた六組の女子だ。名前も知らない、かろうじて顔とクラスを知っているだけの。
 その女子をつい目で追っていると、廊下を抜けて向かうその先は……旧校舎に続く渡り廊下だった。あそこを渡ると、何があった?あの女子以外にも、渡り廊下に入っていく連中は多い。見る限り、俺のクラスの文化系の部活に所属する奴らの姿も。
 ……そうだ、あそこは。俺が部活とは縁のない生活だから普段はスルーしてるが、あの先には、いわゆる部室棟がある。活動の拠点に出来るような特別教室が新校舎にない文化系部活のための部屋が並ぶ場所だ。
 そんなことを思い出している間に、くだんの女子は渡り廊下をスタスタと……歩いて行かなかった。俺の視線を感じたかのように立ち止まり、こちらを振り返る。その顔は、やっぱり昨日の六組の女子だった。
 女子は、俺を認めるなり恐怖を感じたかのように顔をこわばらせ、目を見開いた。
 ……おいおい。そんな目で見られるいわれはないはずなんだが。それとも今日こそ俺の顔に女子に恐怖を催させるような人面瘡でも出現してるのか?
 俺はスルーしようかどうしようか三秒ほど迷った。……が、俺の脳内人格会議は、疑問や好奇心の方が多数派となり、それに従うことが可決された。
 溜息をつきながら、未だ固まったままの茶色コート姿の近くに歩み寄る。すると、その女子はさらなる恐怖を覚えたような表情で、びくっと身体を揺らした。地味に傷つくな、おい。
「……なあ」
 一応聞こえる程度の声の大きさと距離で声を掛けたつもりだが、返事はない。
「お前、昨日も俺のこと見てたよな。何か用事でもあるのか?それとも、俺の顔に何かよっぽど気色悪い落書きでもされてんのか?」
 眼鏡の奥で目をいっぱいに見開き、怯えた表情で俺を見つめていた女子は、しばらく言葉もない様子だったが、やがて、うつむいたかと思うと唇が小さく動いた。
「……ごめんなさい」
「は?」
 なぜ謝られなければならん。わけも分からず怯えられるのも困るが、わけも話さず謝られるのもやっぱり困る。こっちは何一つ、覚えがない……いや、あるのか?さっきこの女子の後ろ姿にオーバーラップした俺の記憶。
 俺の言葉を遮って、女子はさっきよりも強く、ごめんなさいと繰り返した。
「ごめんなさい、私が悪いの……『私』たちが」
 おいおい、だから何の話なんだよ。お前は俺の覚えてないところで俺が迷惑をこうむるような何かをやらかしたとでもいうのか?謝るのも良いが、まず状況を説明して欲しいね。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いやだから……って、おい!」
 謝り倒すだけ謝り倒して、身を翻した女子の後ろ姿を、俺はぽかんとして眺めた。
 何なんだ。何が起こってるんだ。



(2010.03.14)