A.「くどい」



 俺の一言に、古泉はようやく口を噤んだ。そして、おずおずと手を伸ばしてくる。
 そうそう、くどくどと前置きやら念押しやらするヒマがあったらとっととやりたいことをやればいいんだ。よっぽどの理不尽でない限り、何されても文句を言わない覚悟くらいは出来てる……などとは、こっぱずかしくて言えん。
 それに、お前が俺をどうにかしたいと思っているように俺だって……あー、いやいやなんでもない。なんでもない、ほんとに。
 などと俺が脳内で一人ノリツッコミ的やりとりを繰り広げている間にも、古泉は俺の腕を取って引き寄せようとしていた。
 一体どんだけすごいいたずらが飛び出すのか、とくと見届けてやろうじゃねえか。
「……そんなに、ひどいことはしませんよ」
 古泉はそう言いながら、俺の両肩に手をかけ、さらに引き寄せる。
 古泉の整った顔が近づいてきて……あ、なんかこいつ緊張してやがる。なんだよ、どんだけとんでもないことやらかす気だよ。
 ゆっくりと近づいてくる奴の顔を見ているうちに、俺もなんだか心拍数と体温が上がり、方々の筋肉が凝り固まって身じろぎひとつすら出来ない状態になってくる。
 つまり、緊張してきた。ああ、アホらしい。古泉の緊張がうつった。
 そのまままんじりともせずに近づいてくる古泉の面を見つめ続けていると、
「……あまり、見ないでください……」
 などとかすれた声で頬を染めて言うもんだから、俺はますます緊張しながら、あわてて目を閉じた。お、お前なあ、どこの乙女だよ。なんでたったこれだけでそこまで緊張して恥じらう!
 視界が閉ざされると、その分ほかの情報が鮮明になる。間近に感じる古泉の体温。息づかい。そして触れた場所から移動していく古泉の手。
 古泉の手は肩を一旦離れ、今度は俺の頬に落ち着いた。壊れ物を扱うようにそっと俺の顔をなで、だんだんと古泉の息づかいが顔に近づいてくるのを感じて……
 唇への柔らかい感触を予期して、俺は思わず唇を引き結んだ。
 が、予想外の場所にその感触を感じて、思わずぱちりと目を開ける。
 そこには少しだけ決まりの悪そうな顔ではにかむように笑う古泉がいた。
「おしまい、です」
 俺はぽかんとして今しがた古泉の唇を感じた場所――鼻に触れる。鼻。……鼻? ここまで引っぱっといて、鼻にキスひとつで終わりってお前……
「お茶を入れてきましょうか」
 取り繕うように言って、古泉がソファを立とうとする。その手を掴んで、俺は叫んだ。
「……大山鳴動して、鼻ちゅーひとつかっ!」
 ネズミとちゅーをかけてますってか! いらんわそんな遊び心!
「えっ、……えっ?」
 古泉は目を白黒させているが、この野郎は本当に本気で何の悪気もなく自分のしたことが分かっていないらしい。
 お前はちょっと辞書を引いて、竜頭蛇尾という言葉の意味でも調べてくるがいい!
「あ、あの……」
 俺はソファを立って、ずんずんと部屋を横切って歩いた。そして、隣の寝室のドアの前に立つ。
「……今日は一人で寝る」
 古泉を振り返ってそれだけ言い放つと、俺は素早く寝室に滑り込んで、思いきりドアを閉めた。