トリック・オア・トリック?

(分岐アドベンチャー型古キョンの巻)



 宇宙には季節というものはないが、人類には宇宙進出以前から受け継いできた文化があり伝統がある。その中にはかつて季節に合わせて執り行われた年中行事というものも含まれていて、今も暦に合わせて各単位で粛々と催されている、はずだ。
 いや、各単位でどこでもやってるかどうかは知らんし粛々としてるかどうかも知らんが、少なくともこのSOS艦隊基地では毎年の恒例行事だ。ちなみに粛々とは程遠い。
 それはこの基地の元締めたる大将閣下が常に面白い物事を追い求める女であり、年中行事とみれば律儀に片っ端から実行するから、というのもあるんだが。
 人工的に作り出さない限り昼夜の区別も気候の変動もなく、準備なしに外に放り出されれば命はない、そんな場所――宇宙で生活している者ほど、伝統や文化、あるいは情動や感傷、もっと言えば人の心の営みの産物全般を大切にして、精神のバランスを取ろうとするものなのさ。古代の海の船乗りたちが荒くれ者ばかりにもかかわらず信心深かったようにな。
 まあそんなわけで現代。宇宙の船乗りたる俺たちも、信仰よりはだいぶフランクに、というかもはやレクレーションかお祭り感覚で、この秋の年中行事を楽しんでいた。
 かつては地球の一地域の新年の祭りだったそいつは別の地域に伝わって形を変えた。子供たちが仮装してかぼちゃで作った提灯を持って家を訪ね歩いて、こう言うのだ。
「トリック・オア・トリック?」
「トリックしかねえ!」
 その日の業務を終えてやっと落ち着けるかという頃のことだ。官舎の俺の部屋に帰ってきて、着替える前に茶でも飲むか、というときに放たれた古泉の言葉に、俺は反射的にツッコミを入れてしまった。(なぜ俺の部屋に古泉も一緒に帰ってきた、となるのかについてはツッコミを入れないでほしい)
 そこは本来トリック・オア・トリート、いたずらされたくなきゃ菓子をよこせ、要は子供が堂々と菓子をねだって大人がそれに応えて菓子をくれてやる、様式美の定型句だろうがよ。それだと二択に見せかけて一択じゃねえか。はいかイエスでお答えくださいってか。選択の余地はそこにはないのか。
 言った俺に、同じソファの隣(これもツッコミは入れないでほしい)に座る古泉は憎たらしいほど爽やかな笑みで応じた。
「ええ、あなたからはもうお菓子はいただきましたしね。おいしかったですよ、妹さんが送ってくださった手作りクッキー。腕を上げられたのではないですか?」
 そいつはどうも。伝えておくよ。妹も喜ぶだろう。
 よろしくお願いします、などと言って古泉は肩をすくめる。
「そもそも今日は、一日中お菓子の交換会のようなものでしたから。甘い物は、もう十分です」
 伸びてきた古泉の手が俺の手を取り、指を絡めてつないでくる。おいなんだこの手は。
 さっき言ったが、今日この基地では大将閣下の号令のもと、お祭り騒ぎの一日だった。業務に支障が出ない程度に基地のほうぼうでトリック・オア・トリートの声とともに菓子が交わされ、間抜けにも菓子の用意が間に合わなかった奴はごくごく罪のないいたずら(簡単に落とせるペンで顔に落書きだの、くすぐりの刑だの、そんなところだ。お前ら子供か)をされ。
 普段から軍にしてはおおらかな空気漂う基地ではあるんだが、そうは言っても軍は軍であるわけで、普段仕事で気を張っている分のガス抜きを兼ねた親睦会みたいなもんだ。まあこんなことが出来るのも、昨今の情勢が平穏だからなんだが。
「それで、菓子はいいからいたずらをってか。幕僚総長殿みずから、平和なこって」
「型通りにお菓子をもらうだけではつまらないかな、と思いまして」
 そんなうちの大将閣下みたいな発想はいらん。これ以上なにをよこせというんだ。平和はいいことだが、人間暇になるとろくでもないことを考えだすようになるな。
 古泉は繋いだままでいた俺の手を持ち上げ、手袋に包まれた指先に唇を押し当てた。手袋越しでも感じる温かさと柔らかさ。一気に心拍数が上がる気がしてとっさに振り払いたくなったが、それもあからさますぎるかと思ってそのままでいると、古泉はいたずらっぽく笑う。
「このまま僕にいたずらをされるのと、僕にいたずらし返すのと、どちらがいいですか?」
「……人間暇になると、ほんっとうにろくでもないことしか考えないようになるな」
 これ見よがしに溜息をついて言ってやると、古泉は俺の手を離さないまままたくすりと笑う。指先で唇の動きが感じ取れて、また振り払いたくなった。というよりむしろ、振り払えない自分に対して暴れたい。頭をかきむしって暴れたい。
「そういういたずら、ということにしてください」
 古泉はそう言うと、目をすがめ、改めて俺に告げた。
「……トリック・オア・トリック?」
 また俺は、溜息をついた。