白い恋人、違った変人


「俺はバレンタインデーとホワイトデーというものを設定した菓子業界とそれを習慣として定着させた世の中の風潮を恨む。何が三倍返しだ」
 背を丸めた彼がそう言ったのは、昨日の学校の帰り道でのことだ。
 それは何も初めて聞く言葉ではなく、ここ数日呪詛のように繰り返していたことであるし、先月も去年も似たようなことを言っていた。
 つまりは、女子を抜きにしてこっそりと行われる、ホワイトデーについての相談の場でのみ出る愚痴のようなものだ。
「そんなにも出費が気になるのでしたら、繰り返しますがいいアルバイトを紹介しますよ。アイデアでお困りでしたらアドバイザーを手配します、しつこいようですが」
 なので、僕は苦笑しながら彼に何度も却下され続けてきた提案を再び振る。
「くどいわ。いらんっつうの」
 それを彼が即座に却下するのもここ数日でテンプレートのようになってしまったやりとりだ。
 彼が何かにつけて斜に構えた言動をとるのはいつものことだ。涼宮さんとよく似た天邪鬼ぶり、と思うのと同時に、あるがままをあるがまま受け止める感性を持つ一方で何に対してもまず批判的に相対するこのバランス感覚は大したものだと思う。それがあるから、彼は受け入れていいものといけないものを峻別できるのだ。
「ただ愚痴りたいだけだ、菓子業界の陰謀について」
 彼は溜息をつくように言って、猫背をさらに丸めた。道を渡る風は張り詰めた冷たさを失って久しいが、寒がりの彼に言わせればまだまだ空気は微妙らしい。
 3月14日。知っての通り、明日はバレンタインデーのいわば精算日、ホワイトデーだ。
「陰謀かどうかはさておいて、まあ商魂たくましい話ではありますね。もともとホワイトデーはバレンタインデーに付随して生まれたお返しの日であり、さらにバレンタインデーの2月というのは年末年始の12月・1月と年度末の3月という書き入れ時に挟まれて、物が売れづらい時期だそうですから。こうした商戦の機会は大きな恩恵になっているのでしょう」
「日頃お世話になってる人への感謝の気持ちだの、愛の告白に、だの言っても結局その下にあるのは商魂ってのが実も蓋もねえ」
 彼は地面を睨むように歩きながら言った。
「はは、見方を変えれば世の中なんでも実も蓋もないものばかりになってしまうのではないですか? それこそ愛や感謝を表す行為の裏に見返りを求める打算がまったくないというのなら、ホワイトデーのような日もきっと生まれていませんよ」
 僕がそう言うと、彼は眉を寄せてこちらを見やった。
「お前の言ってることが一番実も蓋もねえぞ」
「これは失礼を」
 肩をすくめてみせると、彼はまた地面を睨みながら歩を進める作業に戻っていった。俯いた頬とその隣の耳がほのかに赤い、それを見ていると、なるほど確かにまだ寒いのかもしれないと思える。
「けれど、いくら商魂がそこにあってのこととはいえ、人々の中に需要がなければ物は売れません」
 横で、彼が顔を上げる気配を感じる。
「動機はなんであれ、奥手な人間が望んだのではないでしょうか。思いを伝えるための最後の一押しを」
 人間きっかけがないとそういったことは言い出しづらい、ということもあるだろう。商魂がそういった女性たちの気持ちに便乗したように、女性たちも商魂に乗って利用したのだ。ならばこの陰謀は、お互い様と言えるだろう。
「……持てあますほどチョコをもらってた男の思考回路は違うね。なんだその妙に夢見がちな解釈は」
 イケメンじゃなかったらただの変人だぞお前。そううそぶいた彼を見やると、相変わらず俯いたまま、先ほどよりもさらに眉間に皺を寄せている。
 今年のバレンタインデーは休日にならず普通の登校日だったため、校内で受け取ったチョコレートはすべてSOS団員の目に入ることとなった。彼が「お前は未来永劫、敵だ」と呟いたことも、まだ記憶に新しい。
 まあ確かに誰からもそっぽを向かれるよりはよほどましな結果だろう、涼宮さんなどはもらった僕自身より誇らしげにしていた。
 だが義理ももちろん含まれているし、本命を渡してくる相手についてはもろもろの事情に鑑みてお断りするより他になく、手元にはまさに持てあまし気味の思いの形であるチョコレートだけが残る。
「その件に関しては実に心苦しいかぎりですよ。義理チョコでしたら返礼はさせていただきますが、それ以外には対しては見返りは差し上げられません」
「余裕だな。この男の敵めが」
 そうは言っても僕には断る以外に選択肢はない。それは僕が特殊な事情を抱える人間で、その事情を明かす相手は選ぶべき状況であること、なおかつ現在はSOS団としての活動と涼宮さんにまつわるトラブルを最優先すべき状況であることなど、いくつも理由があるのだ。
「余裕があるなんてとんでもない」
 だが、最大の理由は僕の中にも需要のともし火があるからだろう。
「実は、本命がいるからなんですよ」
 バレンタインデーに、チョコレートに仮託して思いを差し出してしまいたかった相手がいる。だから僕は、僕にチョコレートを差し出す彼女たちの気持ちがどんなものか分かって心苦しいが、けれど情けもかけられなかった。
 彼を見る。ひどく驚いたように目を目を見開いていた。その口が動いて、何かを言いかける。
「……と、いうところでどうでしょう?」
 遮るように、僕は笑いかけた。
 すると彼はひどく不満げな顔で口元を引き結び、睨んできたかと思うと顔を逸らした。
「やってらんねえぜ。なんでお前みたいな奴がモテるんだよ」
 そうくさした横顔の頬と耳は、やはりわずかに赤かった。


 ホワイトデーが無事終わり、昨日のやりとりを思い出しながら家路をたどる。
 そして、ひと月前のバレンタインデーのことも。あの日の前日、僕は彼にほんの小さなチョコレートを一つ、友人に贈るお裾分けのような顔をして差し出した。
 彼がそれをどう受け止めたのかは分からない。バレンタインデーの話をした後に差し出したものだから、相当訝しんだかもしれない。
 けれど今日、彼は何も渡してこなかったし何も言いはしなかった。あのチョコレートはそういったものとしては受け止められなかったのだろう。
 それでいい。そう言うつもりで贈ったわけではないのだから。
 好意というものには、お返しに相手からの好意を求める打算がどこかしら含まれているものだ。それがホワイトデーを生んだ。
 ならば、ホワイトデーに見返りをもらえることを期待しなかったあのチョコレートは、好意でも何でもない。少なくとも、そういう種類の好意ではない。そういうことにしておけばいいのだ。
 何でもない日に突然友人にチョコレートを差し出す変人、それでいい。僕は彼だけを選ぶことなど出来ないのだから。