面白い恋人変人


 さて、聞いていただきたい。いや、これは文字媒体だからして、読んでただきたい。
 1ヶ月前くらいに見た書き出しだな、などと言ってくれるな。使い回しじゃないぞ。というかそんなことはどうでもいい。
 菓子業界の陰謀に始まり菓子業界の陰謀に終わる2月14日から3月14日を終えて、俺たち野郎どもにとってはようやく肩の荷が下りた気がする、今日はそんな3月15日である。
 いや、実は俺の肩の荷はまだ下りていないんだが、まあおおむね世間一般的には下りているはずだ。古泉も昨日の帰り道はホッとしたような顔をしていて、ちょっとムカついたから軽くどついておいた。俺の肩から下りていない荷は、古泉の野郎が主にして唯一の原因だというのに。
 ところで昨日のホワイトデーがどんな様子だったかと言えば、まあ一言で言えば好評だ。ハルヒは相変わらずガキ大将のようにふんぞり返りながら上機嫌で三倍返しを受け取ったし、長門は短い感謝の言葉と共に受け取ったそれをもくもくと素早く消費することで満足の意を伝えてきた。そして朝比奈さんといえば、にこにこしながら俺たちの贈った菓子に合う茶を淹れてくれたわけだが。
「……朝比奈さんのお茶が恋しい」
 俺のつぶやきに、隣を歩く古泉がこちらを見る。
「もうですか。まあ、お気持ちは分かりますが」
 朝比奈さんは今後の準備が色々とあるらしい。卒業式が済んでからも部室には顔を出してくれていたが、それも昨日が最後だった。生活が落ち着くまではごめんなさい、と言われたが、それは仕方のないことだ。ハルヒも了承し、代わりに春休みに思いっきり不思議探索で遊び倒すことになっている。
 それはいいさ。だがその準備ってのは、一般的な進学・新生活の準備なのかね?
 ……とは実も蓋もなさすぎてつっこめなかった。なんで朝比奈さんはハルヒと同学年でなく一学年上なんだ? 先に卒業しちまうのは理由があることで、例えば卒業とともに朝比奈さんはハルヒの監視の任務から外されて未来に帰っちまうんじゃないか、とかな。
「貴重な日々の癒やしが……」
 だから、俺はただ溜息をつく。同時に、ポケットに突っ込んだ手を握りしめた。
 古泉が苦笑気味に言う。
「ご愁傷様です」
「うるせえ」
「嫌味や茶化しで言っているわけではありませんよ。朝比奈さんのあのおっとりとした空気は貴重なものでした。あの空気がなかった今日の部室に寂しさを覚えたのは、何もあなただけではありませんからね」
 その言葉に、押し黙る。そうだろうよ。ハルヒなんかあからさまに落ち着かない感じでパソコンをいじってたし、長門も本のページをめくりながらどこか手持ち無沙汰だった。古泉も俺も、退屈なゲーム盤の脇に置かれていない湯飲みが気になってたさ。
「……せちがらい、ああせちがらい、せちがらい。あと1年、朝比奈さん抜きであの団活をどうやって切り抜けろってんだ」
 俺の言葉に古泉が吹きだす。
「まあまあ、そのうち寂しさなど感じる暇もなくなりますよ。僕たちも来月からは3年生ですからね」
 こんにゃろう、その現実を思い出させるな。だからこそ日々の癒やしとして朝比奈さんのような存在がいや増して大切になってくるんであってだな。
 舌打ちして、首にぐるぐるに巻き付けたマフラーに顔を埋めるように俯いた。そうだよ俺はこんな時期までマフラーしてるよ、悪いか。まだ寒いんだよ。
 右、左、と交互に踏み出す足の下を、ぐるぐるとアスファルトの路面が通り過ぎていく。
「お前、進路どうすんだ」
「僕ですか? まあ進学希望ですが……涼宮さんの進路次第ですよ」
 前にもなんとなく聞いたことがある気がする返答だな。まあこいつは腰巾着のようにどこまでもハルヒのお供をするだろうし、それが出来るだけの学力もあるようだし。わざわざ特別進学クラスを選んで入ってきたくらいだからな。
「――決まったら、教えろよ?」
 ちらりと見やれば、古泉は実に曖昧なアルカイックスマイルを浮かべている。
「ええ、決まりましたら」
 なんとなく、予想していた通りの答えだ。まったく嫌になるね。こいつとの付き合いもほぼ2年だ。だいたいのことには予想がつくさ。
 だから俺は、ポケットに突っ込んだ手を引き抜いて振りかぶった。
 古泉が目を見開く。
 ピッチャー振りかぶって――投げた。
 ……とはならなかった。隣を歩いてたもんだから距離が近すぎて腕を振り抜けなかったからだ。
 俺の方を向いていた古泉の顔の真ん中に、べち、と俺の手のひらが押しつけられている。
 間抜けめ、とっさに払うとかよけるとか思いつかなかったのか。それでもお前怪しげな組織のエージェントかよ。
 俺が手を離すと、ぽろりとその下から落ちるものがあった。古泉があわててそれを受け止める。
「……これ、は?」
 ほとんど顔面アイアンクローだったことを怒るでもなく、まるでとてつもない手品を見たような顔で、自分の手の上にあるものを、古泉は見ている。
「マシュマロだ。見りゃ分かるだろ」
 その辺のコンビニでも売ってそうな、1個あたり何十円もしない、個包装されたマシュマロがひとつ。焼くとうまいぞ。
「昨日の余りだよ、余り。家族用に買ったんだ、それ」
 俺がついで言った言葉にもぽかんとしたまま、まだマシュマロを見ている。マシュマロなんかそんなに珍しいわけでもあるまいに。……というのは若干意地が悪いかもしれん。
 古泉は分かりすぎるくらい分かってるだろう。このマシュマロは俺が先月肩に負わされた荷のお礼参りというやつだ。
 だが、奴がわざわざ日付をずらして渡してきたことを思えば素直に言ってやるのも癪だったので、俺は言葉を換えた。
「前金な」
「……前金?」
 ようやくマシュマロから目を上げ、ぱちくりと瞬かせた古泉の顔はまさに豆鉄砲を食らった鳩そのもので、ちょっと溜飲が下がる。まさかお返しがあるとは思ってなかったか? ならざまあ見ろだ。
「俺の勉学の成績は相変わらずの低空飛行だ」
「はあ」
 反応が鈍い。お前いつまで豆鉄砲食らいっぱなしでいる気だよ。
「そして俺も進学希望だが、よほど頑張らんと受験はまともな結果にならんだろう」
「……はい」
「よって、優秀な教師役が必要と思われる」
 なんとなく俺の言いたいことに気づいたか、古泉は押し黙る。
「…………」
「お前も受験生で大変かとは思うが、要は俺が勉強するかたわらで勉強やるぞって空気を醸し出してくれるだけでいいんだ。頼む」
「……それは、」
「という意味の前金」
 遮って言ってやると、古泉は一度ひるんだが、
「それは……涼宮さんにお願いした方がいいのではありませんか? 彼女こそ教師としても優秀でしょう」
「あいつに教えを請うとこの先何倍返しを要求されるか分からん。男同士の方が気楽だし」
 俺は言って、ついでに付け加えてやった。
「あと受験に追われて疎遠になってる間に気がついたらお前がフェイドアウトする準備を済ませてた、なんて展開があっても困る」
 俺のド直球を、またしても古泉は正面から鳩のように食らってしまったらしい。しばらく目を見開いて、何を言えるでもなく俺を凝視しつづける。無駄な口数にかけては定評のある男が。
 俺としては言うだけ言ってすっきりしたので追討ちを掛けることもなかろうと見守っていると、まん丸だった目がやがてたわめられ、口元が歪み、眉尻がハの字に下がり。
 泣き出す寸前の顔と爆笑する寸前の顔ってのは似てるらしい。奴はぐぐっと喉の奥からくぐもった声を出したかと思うと、盛大に腹を抱えて笑い出した。
「あははは、あはは!」
 住宅街の路地に響く、イケメン高校生の笑い声。遅い時間でなくてよかった。だが普通に人通りがありそうなこの時間、人に見られたら若干恥ずかしい。
「な、おま。なんだよその反応。ていうかやめろよ、んな大声で」
「あははは、い、いえ、まさかそう来るとは思わなかったので。あはは、あは」
 目尻にたまった涙を拭いながら、奴はまだ笑い続けている。
「以前に言ったことを、訂正しますよ。あなたみたいに面白い変わり者は……見たこともありません。っくく」
 まだ笑いやがるか。ていうかそれお前にだけは言われたくねえわ。
「いえ、はは、これからはあなただけに言いますよ。っぷぷ……」
「うるせえ! あと笑うなというに! あーもう!」
 俺こそお前以上の変人なんか知らねえよ、くそ!