B.「いちいちお伺いを立てるような奴に何が出来る」



 お前が土壇場で変に紳士なのは長い付き合いでよっく知ってるさ。ヘタレとも言うがな。
「ヘタ……」
 俺の言葉に古泉は絶句、のち肩を盛大に落っことした。
「僕がある一面において臆病者なのは認めるところではありますが、そこまで言いますか……」
「言いますよ。悔しかったら俺の度肝を抜くようないたずらのひとつもしてみやがれ」
 我ながらひどい言いようだが、お前のヘタレ紳士ぶりに何度もやきもきさせられてきた身としてはこれくらい言っても言いすぎとは思わないぜ?
 古泉は俯いてしばらくずーんと落ち込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……分かりました」
 その眼光がいつになく鋭く俺を射抜く。
「なら、あなたも何をされても後悔しないでくださいね」
 睨み上げてくる視線を、俺は鼻で笑ってやる。だからそうやっていちいち念押しするようじゃ、……って!
 いきなり肩を掴まれたかと思うと、次の瞬間視界がぐるりと回る。
「……っ」
 思わず目を閉じ、次に開けたときには、目の前に、部屋の天井を背景に俺を見下ろす古泉の顔があった。
 そこでようやく、俺はソファの上に押し倒されたんだと気づく。
 古泉の顔からはいつものニヤけた笑いがきれいに消え去っていて、改めて感じる顔の端正さと、見下ろしてくる瞳を縁取るまつげの長さに思わず動揺する。
 だが俺は、なけなしの意地で口を開いた。
「お、前こそ俺を甘く見るなよ……こんなことでいちいち後悔するようならそもそも……」
「もう、黙って」
 それを手袋に包まれた人差し指であっさりさえぎられ、思わず睨み上げる。そして、後悔しそうになった。
 ずい、と迫ってきた古泉の顔が、なんというかその、実にアレで、その、アレだ。笑みのかけらもない美形面が、ただでさえ切れ長の目を細めて見下ろしてくる様に目眩がする。
 お前分かっててやってんじゃないだろうな、この野郎。なんで唐突に強気スイッチが入ってるんだ。
 しかし古泉は分かってるのか分かってないのか、何も言わず、俺の唇の上に置いた人差し指をつつっとなで下ろし、あごを捉えた。
 そのままキスでもされるかと思ってとっさに目を固く閉じたが、指はそのまま顎のふちをゆっくりと辿り、耳の下にたどり着く。そのまま耳をなぞりだした感触に思わず目を開けると、やっぱりそこには俺を見下ろす古泉の顔が間近にある。
 くすぐったい、いたたまれない。だがここで拒んだり目を逸らしたりしたら負けのような気がして、俺はじっと古泉を見返した。
 天井の明かりを背に、逆光の暗さの中で見下ろしてくる古泉の瞳は、それでも明るい、どこか淡い色だ。
 古泉の指がやがて、耳の後ろ、生え際をなで始める。髪の間を布地に包まれた指が通り、頭皮をかすめていく、その感触がたまらない。思わず身震いして、目を閉じた。
 古泉の手は、耳の後ろからだんだんとこめかみ、額へと移り、髪をなで続ける。
 俺は目を閉じて、それを感じ続ける。古泉に撫でられる感触と、古泉の匂い。
「こ、いずみ」
 じわじわと、真綿で包囲されて追い詰められていくようだ。
「その手袋、とれ……」
 手袋越しになでられるのすらまどろっこしく感じられてしんどくなってきて、つい撫でている手を取ってそう言うと、逆にその手を取られて口づけられる。
「っ、」
 そのまま古泉は俺の手袋の指先をくわえ、引っぱった。同時に、古泉の指が手袋の中に入ってきて手のひらをなでていく。くすぐったさと同時に寒気に似たものが背筋を駆け抜けて、問答無用で肩が跳ねた。
「お、おま、誰が、」
 誰が俺の手袋を取れと言った! しかもそんなねちっこい外し方で!
 古泉はあらわになった俺の手に、もう一度口付けて笑った。
「だって今は、いたずら中ですから」
「こっ、の……!」
 こんなのもういたずらの範疇を超えてるだろ、だってこんなのを延々と続けるのは。
 しかし古泉はもう片方の俺の手を取って、同じように口と手を使って外し始めた。古泉の息が指先にかかり、古泉の手袋越しの指が俺の手の上を滑りながら手袋を取り去る。
 俺はもう一声も上げられずに、その感触に耐えつづけた。顔も頭も熱くて、いや、体中が熱い。とにかく熱い。古泉のせいだ、全部。
 目を閉じて歯を食いしばってこらえていると、不意に古泉の動きが止まった。
 どうしたのかと思って目を開けてみると、さっきまでの強気を引っ込めたような顔で、俺の様子をうかがっている。
「……もう、やめますか」
「バッ、カ、このやろ、」
 この状況で途中でやめるとか、そっちの方がよっぽどひどいいたずらだろ。いや、もういたずらなんてレベルじゃない。お前の手の上でなぶり者にされていじめられてるような気分だよこっちは!
「っ、責任もって、最後まで……」
 古泉の手を、力任せに握り返す。
 恥ずかしい、ああ恥ずかしい、恥ずかしい。あとで思い出して憤死したらどうしてくれる。それこそ責任問題にしてやる。
「最後まで?」
 古泉が笑う気配がする。この期に及んでこの野郎、こいつマゾっ気もあるけどサドっ気もあるよな。
 俺は古泉の手を離すと、目の前で笑っている男の首に手を回して思いきり引き寄せた。
 やや乱暴に、唇が合わさる。それをすぐに外して、俺はなけなしの意地と低い声で、言ってやった。
「…………とりあえず、お前も手袋外せよ」
 くす、と微笑む古泉の声が、耳を打ち、俺は目を閉じた。