それは、ちがった変よ


 さて、聞いていただきたい。いや、これは文字媒体だからして、読んでただきたい。
 俺の手のひらに、暗い色の包装紙に包まれた小さな物体が乗っている。暗い色というかチョコレートに酷似した色の、そして角張った形状の、おなじみ、安価で手軽な一口サイズのチョコレート菓子である。
 俺はそれを見下ろしながら、1人家路をたどっていた。肩にはバッグ、片手には紙袋、そしてもう片方の手のひらの上に、くだんのチョコレート菓子という寸法である。
 もう一度言う、チョコレート菓子である。安価で手軽で、しかしゆえにバレンタインデーに義理チョコなどとして活躍する頻度も高い。ことこういった二次創作の世界においては義理チョコを装った本命チョコのような役割をすることも多い。が、こいつはどっちでもない。はずだ。
 そう思いながら、もう片方の手に持った紙袋の中身を意識する。
 紙袋の中には、手作りされたチョコレートケーキが3つ、入っている。去年のバレンタインデーと同じく、SOS団の3人娘から送られたものだ。
 今年は朝比奈さんが受験生なせいもあってか、去年の穴掘り宝探しのような趣向はなかったが、やっぱり素直じゃないハルヒ、受験でお忙しいだろうにふわふわとした笑顔を絶やさなかった朝比奈さん、無表情の中にも誇らしげに見えた長門、それぞれの表情でもって、ケーキは俺と古泉に引き渡された。
 それが今日の放課後の話だ。
 そう、今日はバレンタインデーである。菓子業界の陰謀渦巻く日にして、年頃の男女があるいは胸をときめかせあるいはソワソワと待ちぼうけしては肩すかしを食らう日だ。
 そんな日に、義理とはいえ立派な手作り菓子までもらっておきながら、100円玉で何個も買えるようなチビ菓子ひとつを睨みつけているなどというのは不届き千万かもしれない。だが俺は、ポケットから取り出したそれを凝視し続けていた。ことこういった二次創作の世界においては義理チョコを装った本命チョコのような役割をすることも多い、そいつを。
 ……いやいやいや、違うのだ。誤解しないでほしい。こいつは別にバレンタインデーだからともらったもんじゃない。ましてや俺が今日誰かにくれてやろうとしているものでもない。
 だから、こんなに睨みつけて葛藤する必要などないはずのものなのだ。
 だというのに、俺もたいがい暇である。
 手のひらの上の小さな立方体を見つめながら、俺は溜息をついた。


「――どうしたんです。溜息などついて」
 昨日のことだ。
 朝比奈さんの着替えが終わるのを廊下で待機する間、ちょいとばかし疲れていた俺が吐いた溜息を古泉の野郎が耳ざとく聞きとがめた。
「何か、気がかりでも?」
 ポケットに手を突っ込んで小粋に壁にもたれかかる奴に、俺は舌打ちする。
「いんや、別に」
 どちらかと言えば突っ込まれたくなかったので誤魔化してみようと思ったが、それが逆に古泉の興味を惹いたようだった。
「ほう。ではなぜ溜息などを?」
「いや別に、ちょっと疲れただけだっつうの」
 とは言ってみたものの、別にこいつ相手にムキになって隠すほどの話題でもない。俺はもうひとつ溜息をついて、口火を切った。
「……谷口がだな」
「ほう」
「ものすごくうざい」
「それはそれは」
 いちいちオーバーに相槌を打つな。要するに下らん事案なんだ、これは。 
「ここのところずっと暇さえあればソワソワキョドキョドしやがって。なんかぼけーっとして自分の世界に入り込んでブツブツ言ってるわ、かと思えばいきなり鏡取り出して髪型チェックし始めるわ」
 さらに国木田とともにそれを無視していたら絡んできやがる。
「『キョン、おめー余裕だなぁ……そりゃそうだよなあ。もらえるアテのある奴ぁいいよなーチクショウ!』だとよ。あいつの頭の中はそれしかないのか」
 谷口のセリフをモノマネつきで再現してやると、優男は小さく吹きだした。
「それはそれは。しかしそれは、無理からぬ話ではありませんか? 谷口氏でなくとも、気になるでしょう」
 谷口氏ときたか。あのアホはそんな敬称つきで読んでやるにはもったいない男だぜ?
 俺のツッコミを無視し、古泉はにこりと微笑んだ。
「僕はてっきり、あなた自身が明日のバレンタインデーのことを気にして溜息でもついているのかと思いましたよ」
 この野郎。そうやって矛先をぜったい俺に向けて突っついてくると思ったから言いたくなかったんだよ。
「何を言う。いや、そりゃある程度は気にするがな。溜息ついてソワソワするほどのこっちゃないだろ。去年だって渡されるまで忘れてたくらいだし」
「そうですかねえ」
 そう言って古泉はあごを撫でる。
「去年のあなたはもろもろの事情により気にする余裕がなかっただけではありませんか? 今年は幸い平穏なまま当日を迎えられそうですし、あなたとて多少は意識する余地があるでしょう」
 うるせえ、その流し目をやめろ。ニヤニヤするな。
「そもそも気にしてないわけじゃないっつってんだろ。そー言うお前はどうなんだよ」
 古泉の視線を退けるように腕を組んで、俺は乱暴に壁にもたれ直した。こういうときは矛先をとっととずらすに限る。
「もちろん気にしていますとも。ワクワクしますよ。今年はお三方がどんな形でプレゼントを下さるのか」
 なんともまた優等生的なお答えだな。言っておくが当然今年も三倍返しの方法を考えなきゃならねえんだぞ。それに、SOS団以外からのチョコは気にしねえのかよ。お前の場合それこそアテがたくさんありそうだがな。
「ははは。まあ、日頃お付き合いのある方から頂けば、お返しもしますがね」
 そうだろうとは思ったが日頃はお付き合いがない奴からも当然のようにもらうアテがあるってか。分かった、今からお前は俺の敵だ。
「ご勘弁を。そういう意味で、去年は学校が休みで大変助かったんですが」
「まだ言うか。滅べこのイケメン」
「滅ばないようになんとかするのが役割ですので。自ら滅びているような暇はありませんね」
 しれっとそう言って、古泉は俺から視線を外した。正面の窓の方を見ながら、肩をすくめる。
「それはそれとして……実際、少しの接点もないような女性から突然チョコレートを渡されても、反応に困るものですよ。あなたがそういった立場になっても恐らく同じかと思いますが」
 悪かったな、見ず知らずのお嬢さんから思いを寄せられていきなりチョコを渡されるような甘酸っぱい経験値はゼロだよどうせ。だが仮にそういったことがあったら男冥利に尽きるというか誠心誠意返礼なり返答なりをする心づもりくらいはだな。
「僕の立場としては、できれば誠心誠意を尽くすのは涼宮さん限定でお願いしたいのですがね」
 そう言って古泉はこっちを見て、意味ありげに笑った。余計なお世話だっつうの。なんでそんなことをお前に決められにゃならんのだ。
「別に僕の決めつけをあなたに押しつけるつもりはありませんよ。たぶんあなたはそうしたいだろうなと僕が思っているだけです」
 そういうのが余計なお世話なんだっつうの。近所の世話焼き婆か何かかお前は。
「そもそも、人にお節介焼いてる暇があったらなあ、お前こそチョコもらって誠心誠意返礼したいような相手はいないのかよ」
「いますよ」
 古泉はまた顔を正面に向けて、目を伏せて言った。
「は」
 あまりの即答に、一瞬反応出来ずにいると、古泉は再びこちらを向いて、ニヤニヤ笑う。
「……と、いうこともあるかもしれませんね、ひょっとしたら」
「どっちだよ」
 趣味が悪いぜ。いるならいる、いないならいない、答えたくないなら答えない、はっきりしろってんだ。
 まあお前だったら本命チョコくらいもらって誠心誠意お返しする相手の1人や2人はいそうに見えるけどな。
「二股は誠心誠意とは言わないですよ」
「1人や2人ってのは言葉のあやだ」
 二股してそうって意味じゃねえよ。分かるだろ? 人の言葉尻捕まえてそういう珍妙な解釈をすんなよな。
 ていうか、やっぱり前言は撤回だ。そんな調子でモテるとはとうてい思えん。そうに決まってる。そもそもSOS団という変人集団に所属する変人副団長という時点で変人のレッテルを貼られて敬遠されてるだろうしな。
「『変人』をそこまで強調されるいわれはないように思うのですが」
 黙れ、モテそうでモテない変人。
「あなたがどういった偏見を抱こうと害がなければ関知するつもりはありませんが、それよりも変人というならあなたが一番の変人だと思いますよ。この団では」
「なんだよそれは。聞き捨てならん」
「ご自覚がなかったのですか?」
 ハンサムな変人は小鳥のように首を傾げる。やめろ、ハンサムだからってかわいいしぐさが許されると思うな。
 というか自覚も何も、俺は団で唯一のツッコミにして常識人がポジションだろうが。
 俺の言葉に、古泉は俺をしげしげと見つめ、「おやおや」と笑った。
「あなたは確かに、この団にあって時にコミュニケーションのクッションであり、時にバランサーでもある、そういう役回りです。おかげでこの団は回っている。それをこの2年近く、萎縮するでもなくはしゃぐでもなく平常運行でずっと続けていらっしゃる。異能と異常が渦巻く場で、何の特殊能力もないにもかかわらず」
 そう言って、ポケットに突っ込んでいた手をひらりと俺に向ける。
「これは非常に希有なことですよ。あなたほど頑固な変わり者は、まあ見たことがないとは言いませんが、僕が出会った中では五本指に入ります」
 そう言ってまたポケットに手をしまい、イケメン超能力者はニヤニヤ笑顔をこちらに向けている。まさかと思うが褒めてるんじゃないだろうな、それ。
「褒めていますよ。あなたは立派な変人だ」
 褒め言葉になってねえ。
「では言い直しましょうか。あなたは普通とは違う、特別なんです」
 特別ってな。
「……やっぱり、嬉しくない」
「そうですねえ。あなたの理屈で言えば、あなたが一番モテないということになってしまいますしね」
「それを持ち出すかこの野郎!」
 勢い込んで古泉を睨みつけると、奴はあはは、と笑う。
「まあ、そうお気を落とさず。代わりに変人にはモテるかもしれませんよ。幸い、ここはあなたいわくの変人の集いです。……明日チョコレートをいただいたら、誠心誠意お返しをすべきでしょう。愛すべき女性陣たちに」
 などと抜かしながら、古泉はもう一度ポケットから手を出した。
 かと思うと何かを親指で弾いて、……俺はあわてて両手を差し出した。放物線を描いて俺の手のひらにおさまったのは――コンビニ等で非常に見覚えがある、チョコレート色の包装紙に包まれた、おなじみ、安価で手軽な一口サイズのチョコレート菓子だった。
「差し上げます」
「はあ?」
 わけが分からん。今の話の流れでなぜにこんなものが出てくるんだ。
「そうですね……では、まあモテない変人同士のよしみということで。――特別ですよ?」
 古泉はそう言って、なんでだか困ったように眉を寄せて笑った。
 やっぱりぜんぜん分からん。モテないったってどうせお前はモテるんだろうが。それに特別って何が特別なんだ。
 突っ込もうとした俺と、またポケットに手を突っ込んで壁にもたれかかる作業に戻った古泉の間で、ドアがバタンと開いた。ハルヒと、ハルヒにさんざんにいじくり回された朝比奈さんと、長門の登場だ。
 開いたドアと逆に、俺は口を閉ざさざるを得なかった。なぜか余人がいるところで話すことではない気がしたからだ。もしかしたら、別に突っ込んだってよかったのかも知れなかったが。


 お分かりいただけただろうか。以上がことの顛末だ。
 そして俺はそのチョコレート菓子を、食うにしろ誰かにやるにしろ気味悪がって捨てるにしろ何にしろ、処置をつけられずに持ったままでいるのだ。
 なんだってあの話の流れで、こいつを渡してきたのか分からない。バレンタインデーに義理チョコなどとして活躍する頻度も高い、ことこういった二次創作の世界においては義理チョコを装った本命チョコのような役割をすることも多いこのチョコレート菓子を。
 ひょっとしたら奴なりの特別な好意を表現した友チョコというやつなのかもしれないし、まったく他意なく一個だけ余ってた菓子を分けてくれたのかもしれない。特別というのは女子の分はないからあなたにだけ特別に、という意味で。
 そう思ってとっとと食っちまえばいいはずなのに、どうしてもそうする気になれなかった。
 手のひらに乗った小さな立方体の、その角が崩れていることに気づかなければ、そうできただろうに。
 奴は一体いつから俺にこれを渡す機会を窺っていたんだろうか。多分ポケットの中で一度は溶けかけたのだろういびつな立方体を、他意なく取り扱う気になれなかった。
 ちくしょう、古泉め。他の奴ならいざ知らず、お前が唐突に奇行に走ってもおかしくない変人のせいだぞこれ。
 なんでバレンタインデーの前日なんかに思わせぶりにこんなもんを渡しやがるんだ。バレンタインデーに義理チョコなどとして活躍する頻度も高い、ことこういった二次創作の世界においては義理チョコを装った本命チョコのような役割をすることも多い、このチョコレート菓子を!