国木田は見た!0927



 ネクタイを掴む手は、ちょっと乱暴だった。
 ほとんど力任せに引き寄せて、顔が、近い。極限まで近づく。色の薄い、長い前髪の向こうで、切れ長の瞳が見開かれる。
 触れ合う直前、白い頬がさっと染まるのが見えた。
 目を閉じて、顔を傾けて、唇を奪う。
 ひどい顔だ。眉間には盛大にシワが寄ってるし、頬どころか耳や首まで赤くして。
 唇を奪われた側は、頬を染めたまま驚きの表情でそれを受け止めていたが、やがておとなしく瞼を閉じた。
 音もなく、触れ合うだけのキスはそれほど長く掛からず終わった。おそらくは、10も数えないうちに。
 最後に口元が動いて、相手の下唇を食んでから離れていく。
 ネクタイを引っつかんだまま、まだちょっと普通の友達にしては近い距離で、キョンが言った。
「……まあ、あれだ。誕生日祝いな。今年は用意する時間なかったから、これで我慢しとけ」
 来年はもうちょっとちゃんとしたもの用意しとくから。というかもっと早くに教えろよな。
 首から上を真っ赤にしていなければ苦虫を噛み潰したのかとしか思えない表情で、キョンがぼそぼそと続けるのが聞こえる。
 そこまでならまあ、校内でよくやるね、ごちそうさま、で終わるんだけど。
「その点については、すみません。……言う機会がなかっただけで、あなたに隠していたわけではないんですよ」
 そう応じた相手は、どこからどう見てもキョンと同じブレザーを着てネクタイを締めた、男子生徒だった。
 来年も今年と同じプレゼントがいいです、アホかお前は、と内容だけ聞けばごく普通のカップルらしい応酬が始まったところで、そろそろと移動を開始する。
 下手に動くと感づかれるかなと思ったけれど、カップルのカップルによるカップルのための会話を逐一最後まで聞く気もなかったから。


 ……という出来事があったのが5分くらい前。
 よくだべったり昼を一緒に食べるクラスの連れ(それも、中学の時からつきあいのある)が、同じ男とキスしていた。
 さて、僕はどうすべきだろう?
 まあ常識的に考えて胸の内に収めておくのが一番穏便そうだけど。
 ――というかキョン、変な女が好きなのは知ってたけど、変な男まで好きなんてなあ。
 キョンがキスをしていた相手は僕も顔と名前と簡単なプロフィールくらいは知っている。9組の古泉。有名人だ。
 何しろ見た目がいいし特別進学クラスで勉強も出来るしスポーツも出来る。ただそこに立ってるだけで目立つ人種。その上、僕のクラスの変人・涼宮ハルヒが作ったよく分からない変人だらけの団の副団長ときてる。
 要するにキョンや涼宮さんと同じ、変人なのだ。
 ――そうか、変人が好みなんだなあ、キョンは。
 そしてあの変人のおかげでキョンもすっかり変になってるんだろう。だって、いつもそらっとぼけてるようなあのキョンが。あんな真っ赤な顔をして、あんないっぱいいっぱいで、あんな甘酸っぱい会話をするなんてさ。
 本来ならあれはキョンと付き合ってる古泉だけが見られる顔だし、キョンも古泉以外にああいう顔を見せてたなんて知ったらかなりいたたまれないだろう。僕も見ていてかなりいたたまれなかった。
 うん、やっぱり黙っておこう。
「おーい、くーにきだー!いつまでかかってんだよお前。早く帰ろうぜー」
 玄関にたどり着くと、谷口が手持ち無沙汰そうに下駄箱にもたれて待っていた。
「ああ、ごめんごめん」
 口をとがらせてブチブチいっている谷口に軽く謝罪して、靴を履き替える。
 外靴に履き替えて玄関を出ようかという時に、ふと校舎の中を振り返った。
 キョンと古泉は、まだあの場所にいるのかな。
「ん?どうした国木田」
 あんな真っ赤な顔をして、あんな甘酸っぱい会話をするほど変になる、というのに僕も興味や憧れがないわけじゃない。いっぱいいっぱいはごめんだけど。
 ――だからちょっとキョンが羨ましい気もする。
 まあ、機会があったら「学校であれはちょっと大胆すぎない?」くらいは言ってからかってやろうかな。
「なんでもないよ」
 僕は玄関の外で怪訝そうに振り返っている谷口に向けて歩き出した。
 さしあたっては、今日はキョンたちにとってはおめでたい日らしいし、基本的にはそっとしとこう。
 もう一度校舎を振り仰いで、僕はつぶやいた。
「ハッピーバースデイ」