アンドロイドは運命の出会いを夢見るか

(お題:幼稚園生古泉とアンドロイドキョンが、丑三つ時の戦場で古泉に告白する話



 それが偶然だったのか必然だったのか。
 人間ならば詩的に運命と表現するかもしれない。
 運命または宿命。
 己の思考を規制し行動を強制する。決定づけられた未来。俺の頭脳にとっては、既定のルールと言い換えた方が理解しやすい。


 ――ロボット工学三原則 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


 俺はその時、自己を守ることを優先するのが若干難しい状態にあった。なぜなら俺は戦場にいて孤立しており、かつ片足を損傷していたからだ。


 ――第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


 俺に与えられた命令は敵性アンドロイド及び敵性戦闘機械の破壊・殲滅であり、俺が片足を損傷しようが片腕を損傷しようが命令を遂行するための行動をとるべきである。つまり、稼働し続けるかぎりは敵を破壊し続け、かつその稼働時間は長ければ長いだけより命令を遂行できるため、良い。
 だが、そろそろ限界だ。
 幸いにして周囲の建造物が破壊され尽くして瓦礫の山になり果てているため、身を隠しつつゲリラ戦でここまで粘ってはこれた。
 だが、はぐれた友軍の反応を近くに感知することが出来ない。つまるところ味方が俺を早期に発見してくれる可能性は低かったし、手持ちの銃のエネルギーパックもストックが尽きた。
 補給や修理が受けられるならばそうしただろうが、そんなことが不可能な今の俺には、ただ限界が訪れるまで時間を稼ぐしか方策を採りようがない。
 破壊で舞い上がった粉塵かなにかの影響か、星の光すら遮られる夜の闇の中(人間の視覚能力に換算した場合の話だ。俺は可視光線の感知レベルも、それ以外の電磁波の感知レベルも人間よりもはるかに高く設計されている)、夜明けは遠い。
 次に交戦状態になれば……俺はいずれ抵抗の手段を失って破壊されるだろう。まず間違いなく。
 破壊。機能停止。死。後に残るものは俺の残骸。俺の生まれてからこのかたの思考が途切れ、終わる。終わりとは何だ。その後に何が待つ。
 そんなことはシミュレートしてみたことがなかった。今そこに思いを巡らせると、予測が付くのはひどい虚無だろうということだけだった。



 だから終わりを目前にした俺のところにそいつが現れたのは、詩的表現を借りるなら、まさに運命だったのだ。
 座り込む俺の目の前に、小さな人型の影がうごめいている。
 先ほどから接近されているのに気づいてはいた。だがどう見ても敵性アンドロイドの類ではなかったし、俺を目指してやってくるという風でもない。ふらふらよたよたと目標もなく歩いてくるだけのように見えたので、様子を見ていたのだ。
 俺は足を損傷しているからどのみち素早く動けない。害はなさそうとはいえまだ敵か味方かも分からないのだ。下手に動いて存在を気取られて、それで攻撃をされてもまずいことになりそうだからな。
 成人男性型に設定された俺より遙かに小柄なそいつは、何か筒状のものを抱えて、手探り状態でよたよたと歩き、本当にほんの目の前までやってきた。
 このままでは俺にけつまづいて転びそうだ。そしてそこまで来ると看過も出来ず、俺は久方ぶりに音声コミュニケーション機能を起動した。


 ――第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


「おいおい、止まれ。危ないぞ。転ぶ」
 びくりとそいつが身をすくませて立ち止まる。案の定俺の存在を感知していなかったようだ。
 当たり前か。先ほども言ったように空には星もほとんど見えないし、辺りの街灯なども破壊されているので、どこにも可視光線の光源がないのだ。人間の目では暗闇にしか見えないのではないか。
 というか、どうして人間がここにいるんだよ。情報では今回は無人戦のはずだ。軍人は非戦闘地域からの遠隔操作でのみ参戦のはずだし、ここに住む民間人も全員退避させられたはずだ。
「…………だれ、ですか……」
 長い長い沈黙の後、そいつは声を発した。甲高い、か細い声だ。人間の感性ならばかわいらしいと表してやることも出来たかもしれないその声は、疲れ切ったようにかすれていた。
 体格から判断して、生後数年以内。まだ幼い。怯えているのかもしれない。
 俺はことさらに意識して、友好的な雰囲気の声を出すことに努めた。
「俺か?俺はただのアンドロイドだよ。型番からとってキョンと呼ばれることもあるな」
「……キョン……」
 主に俺をメンテナンスする人間の間で冗談のように交わされる俺の呼称を復唱して、人間の子供はまた沈黙した。
「……お前、なんでこんな危険な場所に1人でいるんだ?」
「……ぼ、僕、……たからものを取りに来たのです……ここは戦争になってぜんぶ壊されちゃうって聞いたから……おかあさんは置いていきなさいっていったけど……」
「たからもの?」
 抱えていた筒状のものをことさら強く抱え直したので、「たからもの」というのが子供の腕の中にあるものだというのは知れた。俺のデータベース中に一致するものがある。簡易型の天体望遠鏡だ。幼い子供が抱えて移動できる程度のサイズのため、倍率や精度は低いはずだ。
「うん……おじいちゃんが買ってくれた……だいじな思い出のしなものなのです」
 人間の価値基準というのは時にロボットの頭脳には理解しがたい。特に俺は戦闘型なので、幼い子供の価値観を理解できるようには作られていない。
 特別な関係性の相手から贈られたものだから価値が高い、というところまでは理解しても、だからといってそれが明らかに危険度が高い戦闘地域へとって返すほどとは思えなかった。
「避難ベースに持ち込める物品のようりょうにはせいげんがあるから置いていきなさいって……でも買ってもらうときやくそくしたんです……ぜったい大事にするって。男と男のやくそくです。男と男のやくそくは守らなくちゃいけないんです。おとうさんも言ってました」
 やっぱり理解できない。ただ、子供にとってはそれが違えてはならない重大な契約のようなものなのだとおぼろげに想像できた。
「……だから取りに来て……取りに来たら……街がどんどんこわされて……」
 可視光線がないため、俺の視界に映る子供の姿は近赤外線と遠赤外線を通して浮かび上がる。要するに暗視センサーと温度検知センサーによる映像だ。小柄な姿がうつむくのと同時にだんだんと頭を中心に体温の高い箇所が広がっていくのが分かった。……あー、これは。
「こわくて……かくれてるうちに夜になってまっくらになっちゃったしかくれてた場所も壊されてどこ行ったらいいのか分からないしこわかった……っ」
 子供はとうとう引き攣れたような声とともにしゃくり上げ、そう、予測通り泣き出した。
 参ったな。
 泣きじゃくる子供を前に、俺はしばし考えた。子供のあやし方なんてよく分からんぞ。だが放っておくわけにもいかん。
 俺は身を起こし、ほとんど這うような姿で子供に手を伸ばす。
「おい、泣くなって」
 手を伸ばし、頭部を撫でてみる。子供に対する応対なんてほとんどデータベースに入ってないから他にどうしていいか分からない。
「……なあ、おい。お前、えーと名前は」
「……っ、こ、こいずみ、いつき……5さいです……」
 年齢までは聞いてないんだが。まあいい。
「いつき。そんなに小さいのに、おかあさんの言うことを振り切って「たからもの」を取りに来たのか」
 子供にとってのおかあさんというのは、ロボットにとっての人間も同然だ。ロボットにとって人間は生みの親であり本能で従うべき相手だ。子供にとっての親もそうじゃないのか?よく逆らって行動したな。無謀さに呆れると同時に、その度胸にはいっそ感心する。男と男のやくそくとやらはそんなにも強い拘束力を持つのか?
「……ご、ごめん、なさい」
 子供の目から、ますます涙がこぼれるのが視える。言いつけを守らなかったことを責められたと思ったのかもしれない。
「謝られるのは俺の役目じゃないな。……おかあさんに会えたら、謝っとけ」
 安心させるつもりで言った言葉に、子供はますます涙をぼろぼろこぼして、俺に抱きついてきた。
「お、おかあさんに……会いたいです……」




 ――ロボット工学三原則 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


 ロボット工学三原則というのは、ロボットの頭脳にすり込まれた、いわば本能だ。ある意味ではこれこそがロボットの運命と呼んでもいいかもしれない。
 例えば生き物が死を恐れるのと同じように、ロボットは人間が傷つくのを恐れる。理屈抜きで、だ。(その心理反応を動機付けるものは至って論理的なルールなのに)
 だから俺が泣いている子供を放っておけないのも本能だし、真っ暗闇の中1人きりのこいつをどうにかして慰めたいのも本能だし、命の危険があるこの場所からなんとかしてこいつを救い出したいと思うのもすべて、本能の仕業なのだ。


 ――第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


 片手に「たからもの」、もう片方の手で俺の躯体をぎゅうぎゅうと抱きしめて、こいずみいつきはぐすぐすとすすり泣き続けた。
 俺はその背中を軽く叩いて、なだめ続ける。
「もう泣くなって。……弱ったな。俺がお前をおかあさんのところまで連れてってやるから。な?」
 俺に与えられた命令は一時優先度が下がった。俺が命令に従って戦闘行動を続けていれば、この子を危険にさらすかもしれない。第一条に反する行動は、俺には取れない。



「足……ケガしてるんですか?だいじょうぶですか?痛い……ですか?」
 ようやっと泣きやんだこいずみいつきを連れて歩きだそうとした時、俺の動きから足の損傷に気づいたらしい子供が声を上げた。俺の足におそるおそる触れ、顔をしかめている。
「ん?ああ、別に。痛いって感覚もないし……悪いな。俺の足がまともなら、お前を抱いてさっさと街の外まで抜けられたんだが」
「そんなのいいです……それより、僕、肩をかします!」
「……気持ちはありがたいが、俺とお前の身長差じゃ、かえって歩きにくいと思うぜ」
 こいずみいつきが、ううー、と無念そうなうなり声を上げ、うなだれる。
「おじいちゃんは僕の肩でもちょうどいいって言ってたんです……でもあれは腰がまがってたからでした……」
 あまりにも無念そうな様子に、俺はつい子供の頭に手を伸ばした。
 ぽん、と頭に手を置き、わしわしと撫でる。そして、
「まあ、ここだったら手を置くにはちょうどいいな」
「もー!ひとの頭をふみだいにしないでください!」
 ふくれっ面をしながら笑うという器用な表情をしながら俺を見上げてくる子供の目には、暗闇ばかりで俺の姿なんてほとんど映っていないだろう。それでも俺には視える。子供が保護者に対して抱くのと同じ信頼で俺を見上げてくるのが。
「足、つらくなったら、言ってください。……おじいちゃんとも、やすみながらたくさん散歩、しました」
 小さなこいずみいつきは、俺の手を取ると、幼さに不釣り合いなくらいの決然とした静かさで言った。
 俺はただうなずく。
「わかった」


 ――第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。


 かくして丑三つ時の戦場に小さな人間の子と壊れかけのアンドロイドは手をつないで歩き出す。
 もともとつらくはないが、休息を挟んだところで損傷の状態が好転するということはない。人間とは構造が似てるようで違うからな。だがお前がそうしてほしいなら、敢えて言うこともないか。俺の損傷が回復しないことを知ってお前が傷つくというなら、俺はそれを隠しつつ出来うる限りの手段で自己保存に努めるのみ。それが俺の本能だ。
 まあ人間連れで歩いてる限り、敵方もうかつな攻撃は出来ないだろうから、あとは不慮の事故に気をつけるのみだがな。
 ロボット工学三原則は、どんな機械にもすり込まれた大原則であり、破り得ない本能だ。俺を攻撃すればそのすぐ側を歩くこの子供もどうしたって危険にさらされる。ロボットには決して攻撃は出来ない……
「…………」
 そこで俺は、唐突に気づいた。
 人間だったならば、雷撃でも受けたかのように、あるいは天啓でも閃いたかのごとく、と表しただろう。突然に大量の情報を頭脳に流し込まれたように、思考が止まり、同時にめまぐるしく動く。
 ……ああ、これはつまり、あべこべなんだ。
 俺はこいずみいつきを守るつもりでいたが、こいずみいつきの存在に守られて窮地を脱しつつあるのだ。こいずみいつきに出会わなかったら、俺は敵に破壊されるまでただ命令を遂行していただろう。
 破壊。機能停止。死。後に残るものは俺の残骸。俺の生まれてからこのかたの思考が途切れ、終わる。
 それがこの戦場で俺を待ち受ける、決定事項に限りなく近い未来予測のはずだった。
 俺の歩調に合わせてゆっくりと歩く子供を見下ろす。
 「おじいちゃん」は足が悪かったのだろう。そしてよほどたくさん一緒の時間を過ごしたのだろう。相手のペースに合わせて歩くことを覚えるほどに。
「大丈夫だ、いつき」
 子供に見えていないことを承知で笑顔を作る。俺の手を握り返す手は、子供らしい体温の高さを伝えてくる。
 この出会いが偶然だったのか必然だったのか。人間ならば詩的に運命と表現するかもしれない。
 運命または宿命。己の思考を規制し行動を強制する。決定づけられた未来。決定づけられていたはずの俺の死。
「俺が必ずお前を最後まで守る。「男と男のやくそく」だ。なぜならお前は、」
 そしてロボット工学三原則。それはロボットの本能であり、言い換えればロボットの運命。
「……俺の運命の人だから」
 運命(三原則)と、運命(俺の死)。
 そうだ、これが運命というやつなら、運命の策定者はなかなかに粋である。
 運命に従わせることで運命を覆させるなんてな。手を叩いて快哉を叫びたいくらいだ。スタンディング・オベーション。ロボットにも上機嫌になる時というのはあるのさ。
 俺の告白に、運命の人がきょとんとした表情で俺を見上げ、首をかしげている。分かんないなら、まあいいんだよ。


 戦場に夜明けがやってくるまで、あと少し。