薬指に捧げる

(お題:医者古泉と課長キョンが、冬の映画館の中で指輪の交換をする話



 午後7時。
 に、なる少し前。俺は駅の構内で佇んでいた。
 待ち合わせをしているのだが、待ち人は未だ来ず。とはいえまだ約束の時間まで少しある。
 相手が高校時代にいつ来ても待ち合わせよりも早くに着いていたことから思えばちょいと気になるだが、まあ高校時代とはもう事情が違うのだ。大遅刻でもないのに目くじらを立てるようなことはない。
 そんなことより、案外寒いな、ここ。身をすくめながら構内を行き交う通行人に目をやれば、冬の装いばかりである。今は冬だから当然なのだが。
 外で待ち合わせたら絶対凍える自信があったから駅の中での待ち合わせにしたが、意外と変わらないのな、ちくしょう。寒いのは今も昔も変わらず苦手だぜ。
 俺が背中を丸めて自分で自分を抱えるようにして腕をさすりながら震えていると、そこに目当ての人物が歩いてくるのが見えた。
 明るい色のトレンチコートを着て(高校時代に着ていたものとはもちろん違うが、似た感じのコートだ。ファッションの傾向は変わってない。適度にカジュアルで、適度にスマート。そして似合う。忌々しい)、
「すみません、お待たせしましたか?」
 足早にやってきた待ち合わせの相手、つまりは古泉一樹が、ちょっと息を切らしながら言った。おいおい、そんなに慌てるなよ。時間通りだろ。
「俺も別に大して待っとらん。それよかお前、無理して出てきてないだろうな。医者先生は何かと忙しいだろ」
 そう、なんと今や古泉は医師をやっている。
 こいつの趣味と所属クラスからして理系に進むだろうなとは思っていたのだが、よもやそっちに進むとは思わなかった。本人は閉鎖空間が出なくなったおかげで時間に余裕も出来たし手に職でもつけようかと、なんてうそぶいてたが。なんだかんだ言って人助けが嫌いじゃない奴だしな。悪くないんじゃないかと俺は思っている。
 まあこいつならまず優秀だろうし女性の看護師さんと女性の患者さんに大人気だろうしぴったりだよ。その分男の反感は買ってそうだが。
 古泉は、何年経っても爽やかそのものの笑顔で、肩をすくめた。
「大丈夫ですよ、今日は前から空けてましたし。あなたこそ、お仕事は大丈夫だったんですか?課長さん」
 うわ。
 思わず顔をしかめる。やめろってそれ。
 しかし古泉の野郎はやめるどころかますますおどけた調子ですらすらと続けた。
「いやはや、SOS団の中では涼宮さんに次ぐ出世頭ですよね。その年で。それに比べれば僕などまだまだ。偉そうに医者と言ってもまだまだヒラですし、駆け出しと大して変わりませんよ」
 だからやめろというに!お前俺の反応を楽しんでるだろ。……ポストはあてがわれたが大して偉くもない雑用みたいな名ばかり管理職だぞ。規模小さいからな、うちは。
「はは、ご謙遜を」
 お前こそ嫌味か。いや違うないい加減付き合いも長いしどういう返答が戻ってくるかは想像がつくが言うな。
「違いますよ。あなたにはそれだけの器がある」
 言うなと言うに!
 古泉は手袋に覆われた手を顎に当てて、ふふっと息だけで笑う。やめろ気色悪い。様になってるのがなおさら気色悪い。
「僕が高校時代からあなたのそういった部分を尊敬しているのはご存じでしょうに。あなたはなかなか認めてくださいませんね」
 ……あーあーあー、もういいから。そうだな、お前は高校時代からそういう痒くなるようなことを平気で言う奴だったよ。
「もういいからさ……さっさと行こうぜ。こんなとこに突っ立ってても寒いだけだ」
「はい。では参りましょうか」
 ちくしょう、気分は黒星1つだ。高校時代、こいつとゲームをすると連戦連勝だったのが嘘のようだぜ。いや、そもそもこれはゲームでもなんでもないんだが。
「で?今日は何の映画見るんだっけ?」
 いたたまれなさを誤魔化しつつぶっきらぼうに訊ねる。今日は古泉が見たい映画があるがいっしょにどうかと誘ってきたのだ。誘われた時にも内容を聞いたがどうも要領を得なかった
 古泉は人差し指を立て、ウインクして見せた。
「き」
「却下。朝比奈さんの決め台詞を取るな」
 俺が素早くブロックすると、古泉は口を「き」の形に開いたまま苦笑した。
「あなた、未だに朝比奈さんが聖域なんですねえ。言わせてもらえたことがありませんよ」
 当たり前だろう。古泉のくせに何をいけしゃあしゃあと。というかいちいち覚えてるのか?お前は本当に気色悪い奴だな。
 俺の渋い顔を見て古泉ははいはい分かりましたと適当に手を振って流し、
「ま、詳しいことは見てのお楽しみ、ということで」
 結局ウインクを決めやがった。この野郎!


 そんなわけで古泉に連れられ歩くことしばし。
 メインストリートを外れて裏道をどんどん行ってたどり着いたのは、今時にしちゃ珍しい古色蒼然たるというか、いわゆる名画座といった雰囲気の規模の小さな古い映画館だった。
「ほー、こういう場所もまだまだ残ってるんだな」
 というかどうやって見つけてきたんだ。団長様のための副団長として機関のバックボーンを生かして情報収集していた昔と違って、お前も今は忙しい一介の医者だろうに。
 寒さからようやく逃れてようやく一息つきながら俺が言うと、古泉は手袋を外しながら楽しそうに言った。
「ふふ、内緒です。……こういうところの方が、なんだかわくわくするでしょう?今時流行りの大規模な複合施設のシネマにはないような何かがありそうで」
 ……お前、本当にハルヒに感化されすぎだ。いや、お前の場合はもともと類友だったような気もするがな。まあそういう発想は嫌いじゃないが……。
 俺は頭をかきながらふと古泉の手元に目を留めた。今しがた手袋を外した白い手。その左薬指の先に、なにやら女の子が好きそうなかわいらしいマスコットキャラが描かれたピンク色が巻き付いている。
「お前、その指どうしたんだよ」
「え?……ああ、これですか。今日ちょっとうっかり挟んでしまいまして」
 そう言って、古泉が左手をひらりと挙げる。巻き付いているのは、絆創膏だった。
 何やってんだよ。こういうのも医者の不養生って言うのかね。というか左手の薬指だけケガってのも逆に器用だな。お前らしい。
「恐れ入ります」
「恐れ入らなくてけっこうだ。以後気をつけろ」
 ……それはそれとして、ずいぶんとまあかわいい趣味の絆創膏だな?どう考えてもお前が常備してそうには見えんが。
「あはは、お察しの通り、僕の趣味ではありません。その場にいた事務員の女の子にいただきました」
「ふーん」
 いやまあ別にだからなんだというわけじゃないが。というか目の前で指はさんでケガこさえるような気の毒な間抜けがいた時に絆創膏の持ち合わせがあれば、俺だって絆創膏を出すがな。
「どうかしましたか?」
 古泉が小首を傾げている。
「……いや」
 俺は手を振って話題を変えようとして、そういえば、と思い出した。
「ああ、待て。その絆創膏、剥がれかけてる。ちょっと手貸せ。貼り替えてやる。絆創膏持ってるから」
「は、いえ。そこまでしていただくほどでも」
「いいから」
 まあ確かに大した傷じゃないかもしれないが。念には念だ。
「はあ」
 古泉のあっけにとられた顔はおいといて、手を取って絆創膏をはがし、新しいものに付け替える。
 ……よし。まあ愛想もへったくれもない普通の絆創膏だがまあきれいに巻けただろ。
「ありがとうございます」
 礼を言ったきり古泉は解放された左手をためつすがめつ見ていたが、突然ふふっと息を漏らすように笑った。
 なんだよ気色悪い。
「まるで指輪ですねえ」
「……はあ?」
「あなたから左手の薬指にいただく、というのも悪くありません」
 やたらと晴れやかな笑顔に、俺は自然と眉間にしわが寄るのを感じる。
「……おい古泉よ、寝るには早い時間だぜ。従って寝言を言うにも早い。目を覚ませ」
「もちろん、起きていますしほどほどに正気ですよ」
 お前のほどほどは当てにならんわ。だいたい指の先に巻いた絆創膏見て指輪って発想は何だ。輪っかになって指にはまってりゃ全部指輪か。お前見た目のわりにけっこう大味だよな。そういうとこほんとハルヒと似てるぜ。
「光栄ですねえ。まあ僕には涼宮さんのような天賦の発想力というものは残念ながらないのですが」
「褒めてねえ……」
「僕にとっては大いに褒め言葉ですよ。……手を」
「ん?」
 俺が手を差し出す間もあればこそ、古泉は俺の左手を勝手に取ると、もう片方の手でコートのポケットを探り、何かを取り出した。そしてそれを俺の薬指に……って、おい、おいこら待て!
「薬指のお返しというにはちょっと味気ないですが」
「……ねえよ。これはねえよ」
 解放された俺の左手の薬指には、輪ゴムが二重に掛けられていた。どこからどう見ても、文房具屋でひと箱298円くらいで売られていそうな愛想のないただの量産型輪ゴムである。
 なんだこの情緒のなさは。いやまあ、今ここで本物の指輪なんぞ出されてもそれはそれでドン引くが。
「……古泉、お前なあ、」
 気色悪くて発想が変な方向に飛躍してて、その上情緒がないってどんな三重苦だ。お前がどんだけハンサムで物腰柔らかで年収が良くても帳消しじゃねえか。
「本命にはこういうことするなよ。タイミングによっちゃ一発で振られるぞ」
 相手が本物の指輪を期待してる時にはやるな。俺相手にやる冗談ならともかく。
 俺が溜息混じりにそう言うと、古泉はおどけた調子で言った。
「おやおや、困りました。では僕はあなたには振られてしまう、ということでしょうか?」
 思わず古泉の顔を見る。
 声の調子通りにおどけた様子で笑っている。が、アホだ、この野郎。鉄壁過ぎるおどけっぷりだ。長いつきあいの俺の目をそれでごまかせると思ってるのか?
「……さてな。振られそうだと思うか?」
 俺がそっぽを向くふりで視線を外すと、古泉が視界の端で肩をすくめるのが見える。
「……僕は凡庸な発想力しかありませんので、あなたのような方の内面に予想はつけられませんね」
 なんだそれは。人を捕まえて理解不可能な変人みたいに言うな。
「あなたは、僕が測りきれるような器ではない。ただそれだけです。だからできれば、」
「……できれば?」
 戻した視線の先で、古泉が腕時計で時間を確認している。
「おっと、そろそろ時間のようですね。席に移動しましょうか」
 そう言って俺の返事も待たず勝手に歩き出した古泉の横顔は、やっぱり鉄壁すぎた。
 思わず、ため息が漏れる。
 それを聞いた古泉の肩が揺れた。
 ……バカだな、どんなに鉄壁に繕ってても俺のため息ひとつで崩れるんじゃねえか。三匹のこぶたの藁葺きの家だってもうちょっと根性見せたぞ。
 だがまあ、お互い様か。言いかけて止めるこいつも、こいつの言葉の先を待つばかりの俺も。
 俺は古泉の肩を叩いて促し、歩き出した。
「ま、そんじゃ続きは映画が終わった後にしようぜ」
 驚いたように俺を見た古泉は、俺に背中を押されながら、探る目つきで口を開く。
「……あの、それは」
「行こうぜ、映画始まっちまうんだろ?お前のおすすめだ、期待してるからな」
 指輪交換が一番先で言葉がその後ってのもどうかと思うが。ま、こんなめちゃくちゃであべこべなのも、俺たちらしいといえば俺たちらしいかもしれんね。


 映画が始まる直前、隣に座る古泉の左手に手を乗せて言った。
「次はもう少し耐久性のある材質のやつくれ」
 俺の手の下で、古泉の手が緊張したのを感じる。
「俺もまあ、名ばかりの課長とは言えヒラよりはちょっとましな給料だから、もうちょっと頑丈なの用意できるし」
 言い回しに情緒がないのはアレだ。察しろ。
 手にじっとりと汗がにじんで、ちょっと冷たい。そのくせ顔面はやたらと熱いし心臓もせわしない。こりゃ後で古泉大先生に診てもらう必要があるかもしれんね。まあその古泉の手も冷たい気がするんだが。
 古泉がどんな顔をしているのか、確認してやりたかったが確認できなかった。これもわけは察してくれ。
「……続きは映画が終わってからじゃなかったんですか」
 古泉の微妙に震えたようなツッコミの声に被せるように、開演のブザーが鳴る。