プリンが四つ、あったとさ。



 僕の仕事と言えば、ほんの少し前までは神たる少女の憂鬱の具現を狩る限定的超能力者であったように思う。
 ……いや、思うも何も今でもそうなのだが、少女が仲間を得、成長し、無意識下での八つ当たり以外の方法で憂鬱に対処するすべを身に着けはじめたおかげでその能力の出番は激減した。
 個人的には喜ばしい変化だ。僕に掛かる負担が減るから、というのは副次的な理由で、単純にかの少女は僕にとって守るべき相手であり愛すべき友人であるからだ。
 それに能力の出番が多少減ったところで僕の存在意義は変わらない。時に彼女の言葉にうなずき、時に彼女にお楽しみを提供し、彼女の心の世界を守る。能力を行使するのとはアプローチが違うだけで、根本は変わらないのだ。
 僕は今日もそんな仕事を時に楽しく時に緊張を抱えながらこなしていた。
 目下の課題は、夏休みのミステリーツアーのシナリオ。世界の存亡に比べると実に平和なトピックだ。
 去年の夏・冬と企画した推理劇は彼女こと涼宮さんにはおおむね好評で受け入れられた。もっとも、彼女は推理劇の登場人物になって遊べたことが楽しかったのであって、シナリオ自体の出来については夏の推理劇を看破した彼から酷評をいただいているくらいだ。
 僕自身もいい加減自分がこういった企てに向いていないことは分かってきているのだが、涼宮さんは太陽と月と星明かりのすべてをたたえたような目で僕に視線を注いでいる。つまりは向いているいない以前の問題だ。ここまで楽しみにしてくれる彼女の期待に応えなければ。
 もうほとんど無条件に近いのではないかと思うほどの信頼が、くすぐったくもあり、だからこそプレッシャーでもあり……僕はここ数日さまざまな参考資料に当たりつつ、シナリオ作りに頭を悩ませ続けていた。


 とんとん。部室のドアをノックすると、返答はない。ドアを開ければ、そこにいたのは長門さん一人。いつも通りの席で、この夏の暑さなどどこ吹く風という風情で、いつも通りハードカバーの分厚い本を読んでいる。
 放課後の部室の、いつもの光景だ。
「やあ、どうも、長門さん。他の皆さんはまだなんですね」
 長机の上に鞄を下ろしながら声を掛けると、彼女は本から顔を上げ、小さく頷いた。
 彼女はそのまま読書に戻ってしまうだろうと思いながら席に座り、ゲーム相手の彼が来るまでと思って文庫本(シナリオ作りの参考になればと思って、ここ数日ミステリばかり持ち歩いている)を広げると、ふと、視界に影が差した。
 見上げると、いつの間にか長門さんが僕の隣に立っている。
「どうかしましたか?」
 めずらしい。彼女はもともとの役割が観測だったせいか、未だ自発的なコミュニケーションというのが得意でない。懐いているらしい彼相手ならともかく、用事がない限り僕に接触してくることもないはずなのに。
「これ」
 彼女は、そう言って手に持っていた小さなカップ型の容器を差し出した。
「食べて」
 小さなプラスチックスプーンと共に差し出された容器の中身は健康的な淡いクリーム色で……どうやらプリンのようだった。
「これはこれは……どうしてまた僕に?」
「くじで当たった。コンビニ」
 ピントがずれた説明が返ってくる。えーと僕が尋ねているのはこれを入手したいきさつではなくててですね。
 ……そういえば学校から最寄りのコンビニ(とは言っても遙か坂の下にあるのだが)で、スピードくじが当たると対象商品の中から好きなものを一品プレゼント、というキャンペーンをやっていたような気がする。当たった景品をわざわざ持ってきくれたのか。
「冷蔵庫で冷やしておいたから賞味に問題はない」
 差し出されたプリンを見て考え込んでいた時間が長すぎたらしい。彼女からそんな一言が添えられる。またしてもピントがずれている。が、ここは噛み合わないやりとりに苦笑するよりも、素直になるべきだろう。
「ありがとうございます」
 感謝を述べて受け取ると、彼女は頷いた。彼女の意図を読み取るのがさほど得意でもない僕にも分かる、満足げな頷き。
 そして、一体どこで覚えたものか、唇の前で人差し指を立てて、無表情のはずの目にどこか茶目っ気をたたえた様子で言った。
「……一つしかないから、内緒」


「こんにちはぁ、古泉くんも長門さんも」
 僕がプリンをありがたく平らげて後片付けという名の証拠隠滅を終えたところに、朝比奈さんがやってきた。
「やあ、どうもこんにちは。今撤収しますよ」
「はぁい。ちょっと待っててくださいね、着替えたらすぐお茶の準備しますから」
 にこにこと微笑む彼女がそこにいるだけで何とはなしに空気が和む。彼が朝比奈さんを一服の清涼剤とか地上に舞い降りた天使とか表現する気持ちには、出会ったばかりの頃はともかく、今は割と同意だ。
 僕が部室の外に出て文庫本の続きを読み始めると、お隣のドアが開き、見覚えのある顔がこちらを向いた。
「あ。やあ。長門さん、今そっちにいるかい?」
 コンピュータ研究会の部長氏だ。
「長門さんですか。ええ、いますよ。呼びますか?」
「ああ、ありがとう」
 お隣とももうすでに短くない付き合いであり、長門さんがコンピュータ研ではその博識さとプログラミングの腕前で崇拝されているのもよく知っている。
 僕はドアをノックして声を掛けた。
「すみません、長門さん。コンピ研の部長さんがお呼びですよ」
 すぐにドアが細く開いて、長門さんが姿を見せる。彼女は僕を見て、「ちょっと行ってくる」と言い残してお隣に消えた。
 それからほどなく、部室の中から声が掛かる。
「古泉くん、もういいですよぉ」
 にこにこしながらガスコンロの前でお茶の準備を始めている朝比奈さんに僕も笑顔で頷き返しながら、元の席に落ち着く。
「あっ、そうだ。古泉くん」
 と、朝比奈さんは何かを思い出したように手を叩き、朝比奈さんの鞄の隣に置いてあった小さな紙バッグの中から何かを取り出した。
「これ、よかったら食べませんか?」
 とてとてと僕の前にやってきた朝比奈さんの手が差し出したのは、ラップをかけた小さなココット。
「料理部の友達がね、たくさん作ったからってくれたの」
 きつね色の焦げ目がおいしそうなそれは、焼きプリンのようだった。
「いいんですか?僕がいただいてしまって」
 今日はよくよくプリンに縁があるらしい。内心苦笑してプリンを受け取りながら尋ねると、朝比奈さんは笑って答えた。
「あたしはもう食べたから大丈夫。あっ、でもプリンもうそれしかないの。だからみんなには内緒。ね?」
 そう言って人差し指を唇の前に立てながら茶目っ気たっぷりにウインクする朝比奈さんは実に魅力的で、これを彼に目撃されたら僕は瞋恚のこもった眼差しを向けられることになりそうだな、内心また苦笑した。そして、さっきの長門さんの仕草は、ひょっとしたら彼女を真似たのかもしれない、とも。


「みくるーっ、いるかいっ?」
 朝比奈さんが用意したお茶と共に焼きプリンをちょうど食べ終わったところで、次に部室にやってきたのは鶴屋さんだった。
「はぁい、どうしたの鶴屋さん」
「いやーっ、ちょっと人手が欲しいんだ。悪いけど手伝ってくんないかなっ。すぐ終わるからさ」
 いつ見ても気持ちのいい豪快さで、ぱん、と手を合わせる。
「ううーん、ちょっとくらいなら大丈夫だと思うけど……」
「朝比奈さん、皆さんには僕から言っておきますよ」
「そう?それじゃあ……」
「やあやあ一樹くん、悪いねっ。んじゃ、みくるのことちょっとだけ借りてくよーっ」
「あっ、ひゃっ、こ、この格好のまま行かなきゃダメなのぉ?」
 メイド姿のまま、朝比奈さんはあっという間に引っ張られていってしまった。朝比奈さんには気の毒だが、鶴屋さんのあのテンションに僕が口を挟めるはずもない。
 僕がココットを片付け、静かになった部室で一人きり文庫本に目を落としていると、
「おっ待たせー!……ってあれ?古泉くんだけ?」
 我らが団長が今日も輝かんばかりの溌剌とした姿で登場した。
「こんにちは、涼宮さん。長門さんも朝比奈さんもそれぞれ所用があって出ています。さほどかからずに戻るかと思いますが……」
「ふうん、そう。しょうがないわねえ。キョンも今週は掃除当番だし……」
 頬をふくらませながら団長席に向かう姿は微笑ましい。以前は彼女のほんの少しの機嫌の傾きも恐ろしいものだったが、今はかわいらしいものだ。お気に入りの仲間が揃っていないことが少し寂しいだけ。それは、もう少しして団員がここに全員揃えば、雲散霧消してしまうに違いない。
 荷物を机の上にどかりと置いた涼宮さんは、なぜか辺りをうかがうようにキョロキョロと見回した後、
「んー、まあちょうどいいわ」
 と言って鞄の中を探り始めた。首をかしげながら見ていると……出てきたのは、カップ型の容器が二個入った、パッケージ。涼宮さんはピリピリと遠慮会釈なく包装を破ると、
「はいっ、一個は古泉くんのね!」
 得意げな笑顔でそれを差し出してきた。つい受け取ってしまう。どういうからくりを使ったものか、常温下の鞄の中にあったはずなのに、ひんやりとししている。カップ型の容器を満たすチョコレート色のそれは、たぶん、見た通りのチョコプリンだろう。
「あの、これは……」
「日頃あたしの片腕として働いてくれてるその功労をたたえて、半分こしてあげる。みんなに悪いから、黙っててね」
 そう言ってウインクしてくる笑顔が色んな意味でまぶしい。ええ、そのご厚意は大変にありがたいのですが、なんと申しましょうか。
「みくるちゃんや有希はともかく、キョンに見つかるとあいつ不公平だなんだってぶーたれそうだから」
 と口をとがらせる涼宮さんの顔を見ながら、僕は少しだけ、自分の顔が引きつるのを感じた。
 プリンを連続で三つもいただけるほど甘いものは得意ではないのです、そんなことを言えるわけがない。彼女が僕にとって逆らえない相手だからではない。愛すべき友人が差し出してくれた厚意の印を断るなど。
 ……完食した。もちろん。


 さて、この辺りまで書けばもうオチは見えているのではないだろうか。
 僕の目の前には、本日四個目のプリンがあった。クリームとフルーツで彩られた、いわゆるプリンアラモードである。
 さすがに今日はお腹いっぱいだ。僕は胸焼けする思いで彩りも鮮やかなプリンアラモードを眺めていたが、これを食べないという選択肢はなかった。なぜなら、
「これお前のな。食え」
 と、長門さんに感化されたのかと思うほどシンプルなひと言と共にそれを僕に突き出してきたのは、彼だったからだ。
 ちなみにここは僕の住むアパートで、テーブルを挟んで僕と彼は向かい合っている。
 現在、来るべき夏休みを後顧の憂いと補講なしで過ごすための、少し早めのテスト対策勉強会を開催中である。教科書とノートも広げているが、ちょっとここらで休憩を入れようかとなり、彼が僕の部屋に来る前に寄ったコンビニで買い込んできた飲食物を差し出してきた。それがこれである。
 彼がシンプルで安価なフルーツゼリーなのに対し、僕の取り分がやけに豪華なのは、僕が彼の勉強の面倒を見ることに対する謝礼、らしい。ここ何日か僕の部屋で一緒に勉強していてそのたびに彼はちょっとした飲食物を差し入れてくれるが、僕が割り勘にしようと言っても頑として聞き入れてくれなかった。
「……なんだよ。お前こういうの苦手だったか?」
 いえ、そういうわけでは。……まあ、今日に限って言えば苦手と言ってもいいかもしれませんがね。
「なら食え。頭使ってる時と疲れた時は甘いもんがいいんだぞ」
 彼は老成しているくせに妙なところでひねくれた性格をしている。素直じゃない。特に好意を示す時は複雑に折れ曲がったりねじ曲がったりした表現をすることが多い。一見すると真意とは正反対に受け取りそうになることもあるくらいだ。今だってむすっとした顔でぶっきらぼうな物言いをしているが、これを額面通りに不機嫌と受け取ると、それこそ機嫌を損ねることになる。
「……そんなに疲れているように見えますかね?」
「あからさまじゃないがな。……テスト対策に付き合ってもらってるうえ、どうせ今年も推理劇の企画練ってるんだろ?ちゃんと寝てんのか」
 寝てますよ。今のところまだ夜も眠れないほど一杯一杯じゃありません。
 ……一杯一杯ではないはずだし、実際去年一番きつかった秋頃に比べたら、ちゃんちゃらおかしいレベルなのだが、それでも僕のストレスが増大しつつあるのを見抜かれていたらしい。彼にだけでなく、SOS団の仲間全員にだ。だからこそのプリン攻勢だったに違いない。
「で、食うのか食わんのか。お前が食わんのなら俺がもらうぞ」
 まさか。そんなわけにはいきません。
 好意の表現のしかたが複雑怪奇なこの人は、僕がここでおとなしくプリンを受け取らなければ不機嫌な顔で僕を罵倒しつつ、内心ひどくへこむのだ。自分の好意は余計なお世話だったのかと。彼はそれをうまく隠しているつもりらしいが、僕もいい加減慣れたのでその程度なら彼の思考を追えるようになっていた。
 僕としては彼の好意はひどくありがたいものなので、彼をそんな風にへこませるのは本意ではない。差し出された好意を素直に受け取り感謝することが、差し出した人をどれだけ喜ばせるかも知っている。
 胸焼けを抱えてなお断るという選択肢を選ぶ気がない僕は、苦笑いしながら言った。
「そうですね……今は『ここらで一杯お茶が怖い』といったところです」
「はあ?」
 彼が、お前は何を言っているんだという目で僕を見る。
 なので、僕は言い直した。濃いお茶かコーヒーが一緒だと、よりおいしく食べられそうだと思いませんか?
 やっぱり何を言っているんだという目のままで見ていた彼だが、やがて、妹さんのわがままを許すような、優しい苦笑を浮かべて、「しょうがねえな」と立ち上がってくれた。
「アイスコーヒーなんて買ってきてねえからホットで我慢しろよ」
 と台所に向かう彼(そこまでしてもらうつもりはなかったのだが。僕は家主で彼は客だ)の、どこか上機嫌な背中を眺めながら、僕は頷いた。
 はい、もちろんですとも。